萩焼を掲載いたしました
2010/10/18今から400年前、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、朝鮮から連れ帰った陶工李勺光(リシャコウ)、李敬(リケイ)兄弟を毛利輝元が広島で預かったが、その後の関ヶ原の戦いに破れた輝元と伴に萩に移り住み毛利藩の御用窯となったことに始まります。
萩焼の窯は、主に登り窯で、傾斜地を利用した朝鮮式の連房式登り窯です。この連房式は、各室が蒲鉾の様な形で3~5部屋が繋がっており、これらが、傾斜地に作られています。窯としては長く続きましたが、近年、窯の中にある棚板の積み方などが容易になったことで、現在ではガス、電気窯を併用しながら、登り窯での焼成は年に2~3回のみとなっています。また窯は、環境問題などもあり、町中から少し離れた場所に作られています。
◆萩焼
http://www.jtco.or.jp/kougeihinkan/?act=detail&id=102&p=35&c=2
[ 国指定伝統的工芸品(経済産業大臣指定)]
提供:山口ふるさと伝承総合センター様