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JTCO日本伝統文化振興機構
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鎌倉時代の装束で武家の古都らしさを ~貸衣装・梓想庵


訪問先:神奈川県鎌倉市
訪問日:2012年9月26日

2012年現在、ユネスコの世界遺産登録に向けて動いている武家の古都、鎌倉。1192年に源頼朝がそれまでの貴族政権に終止符を打ち、政治の中心であった京都から東国に都を移してから820年が経ちます。現代の鎌倉は観光地として多くの観光客を集めていますが、古い建物は建て替えられ、鎌倉時代のものはあまり残っていないのだそうです。


そんな武家の古都に鎌倉時代の風景を添えたい、と考えた20代の若いお二人が、紫陽花(あじさい)寺として有名な明月院にほど近い北鎌倉に、武士装束の貸衣装のお店『梓想庵(しそうあん)』を開きました。今回は、武田流流鏑馬(やぶさめ)の射手でもある店主のお二人、有本大輔さんと又吉あけ美さんのインタビューをお届けいたします。



「あじさい寺」として有名な明月院に程近い、『梓想庵』(最寄り駅:JR北鎌倉駅)
「あじさい寺」として有名な明月院に程近い、『梓想庵』(最寄り駅:JR北鎌倉駅)

―お二人ともまだお若いですが、どのように伝統文化に興味を持ったのですか。


有本さん(以下敬称略): 小学校1年のときに、歴史好きだった7歳年上の兄に『三国志』を読まされたんです。かなり残虐な内容も含まれているので、そのときは怖かったですね。でも、その後気がついたら歴史好きになっていました。中学・高校と弓道をやっていたのも大きかったです。


又吉さん(以下敬称略): 中学のとき、あまり人のやっていないことをやろうと思って、弓道部に所属していました。あと、『もののけ姫』の影響も大きかったですね。でも、本当に興味を持つようになったのは、流鏑馬の射手になってからです。


―有本さんは山口県の出身だそうですが、なぜ鎌倉に移って来られたのですか。


有本: 流鏑馬をやるためです(笑)。中学のときから弓をやっていて、高校を卒業して働きながら乗馬クラブに通っていたら、それなら流鏑馬をやってみたら、と友人に勧められたんです。20歳の秋に武田流にコンタクトして、すぐに逗子に移り住みました。


西日本では馬事文化がすたれてしまっていて、流鏑馬と言ってもわからない人も多いのですが、もともと室町時代には、武田流の本部が広島にあったんです。10年後には広島に流鏑馬を復活させたいですね。



梓想庵店主の有本さんと又吉さん。
梓想庵店主の又吉さんと有本さん。

―独立して、事業をやろうと思ったきっかけは何ですか。


有本: 組織で働くということに疑問を感じていたことが大きいと思います。


高校は進学校に通っていて、数学が得意で学業に自信もありました。周りの人は当然のように大学に進学しましたが、自分はどうしても大学に行く意味がわかりませんでした。いろいろと将来を模索していて、20歳のとき、青年海外協力隊にも応募しようと思ったのですが、学歴が足りないという理由で叶いませんでした。やはり、大卒の資格がないと社会から軽んじられる傾向はあるのだと思います。


派遣社員として仕事をしていたころ、そこで働いていた人が仕事中に事故に遭って働けなくなると、会社がその人を切ってしまったんです。組織とはそういうものなんだと思いました。それで、いつか独立しようと。


―この事業はどのように始められたのですか。


有本: 鎌倉に来るようになって、あまり「武家の古都」らしいものを感じないことに気づいたんです。それで、「武家の古都」らしく、鎌倉時代を感じていただけることができないかなと。京都の舞妓さんのように、装束を着るくらいならできるんじゃないかと思いまして。


そういって仲間と話をしているうちに、夢を実現するために現実的なプランニングをしようということになって、企画書を作って鎌倉市の「元気UPコンテスト」に応募したんです。そうしたら合格して、この事業を始めることにしました。



各種の雑誌に紹介されている梓想庵。有本さんが射手を務める笠懸の記事も。
各種の雑誌に紹介されている梓想庵。有本さんが射手を務める笠懸の記事も。

―将来はどのように事業を進めて行きたいですか。


有本: 貸衣装に関して言えば、今装束が子ども用を含め15着ほどあるのですが、これを僧兵や白拍子など、種類を広げて行きたいと思っています。
※記者註: 2012年11月より、装束のラインナップが増えています。


―どのような方がお店に来られるのですか。


有本: 特に歴史とは関係なしに、体験したいという方もいらっしゃいますが、観光協会のホームページや、テレビ、雑誌などを見て目的を持って来られる方が多いです。観光用の体験ギフトや、海外の方でガイドさんやホストファミリーの勧めで来られたり、年代、性別、国籍はさまざまです。親子連れ、カップル、友人同士で来られる方もいれば、お一人でいらっしゃる方もいます。
先日、年配の男性で「遺影用に伝統的な装束を着て、きちんとした写真を撮っておきたい」と言って来られたかたもいらっしゃいました。


―『梓想庵』では鎌倉時代を体験することができますが、なかなか当時を再現するのは難しいところもあるのではないでしょうか。


有本: そうですね。本を買って当時の風俗を調べたりして、よく勉強するようにはしています。Facebookで情報発信をしているので、間違った情報を流さないように気をつけています。


ただ、当時とは状況が違っていて再現できないものもあります。たとえば、装束の生地には綿を使っていますが、鎌倉時代の装束は麻でできていました。今の日本では麻薬の取り締まりの関係もあって、良い麻が入手しにくくなっているので、麻の生地はどうしても高価になってしまいます。麻はしわになりやすく扱いづらいですしね。


梓想庵では弓の体験もしていただけるのですが、昔のような竹弓は高価で扱いが難しいので、グラスファイバーの弓を使っています。刀は岐阜の職人さんが作ったものを購入していますが、これも当時の素材とはもちろん違います。こういったところは時代に合わせていかざるを得ないところです。



「白拍子」(平安末期~鎌倉時代の歌舞、もしくはその芸人)であった義経の愛人、静御前の水干(すいかん)と呼ばれる装束。本来は男子の装束。
「白拍子」(平安末期~鎌倉時代の歌舞、もしくはその芸人)であった義経の愛人、静御前の水干(すいかん)と呼ばれる装束。本来は男子の装束。

現代では和服(武士の正装であった直垂)も生活から離れてしまっていて、弓道など、武道をやるにも敷居が高くなっています。昔は矢場などがあって日常的に弓に触れる機会がありました。梓想庵で気軽に昔の装束や弓の体験をしていただいて、鎌倉時代の文化に興味を持つきっかけになればと思っています。


インタビューを終えて:
一口に日本の伝統と言っても、その内容は時代によって変化に富んでいます。京都を中心にした雅な貴族文化や、時代劇で取り上げられることの多い江戸の町人文化などと比べて、鎌倉を中心とした中世の武家文化は確かになじみが薄く、なかなかイメージが掴みにくい方も多いのではないでしょうか。


そんな方にも気軽に鎌倉時代を体験できる武家文化の発信拠点、『梓想庵』。鎌倉にお越しの際は、ぜひ立ち寄ってみてください。


関連リンク:
『梓想庵』ホームページ
『梓想庵』Facebookページ



義経の装束をイメージした直垂(ひたたれ)。義経になりきっていざ鎌倉!
義経の装束をイメージした直垂(ひたたれ)。義経になりきっていざ鎌倉!