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素材の特性を引き出す造形美~錫器「錫光」


訪問先: 埼玉県川口市源左衛門新田「錫光」さま
訪問日: 2016年08月29日





金属でありながら、他の金属器にはないどこか柔らかな質感を持つ錫器。紀元前1,500年のエジプトの遺跡からも見つかっている長い歴史を持つ錫器は、日本にはシルクロードを経て奈良時代に伝わったと言われています。その後何世紀にもわたって、支配階級や神社仏閣のみで使われていましたが、江戸時代の17世紀に、酒器や茶器として京都に近い大阪と、錫鉱山が発見された鹿児島で盛んに作られるようになり、一般にも普及しました。


洗練されたデザインのタンブラー
洗練されたデザインのタンブラー

今回は、独特の製法にこだわり、洗練されたスタイルの製品を提供する、埼玉県川口市の「錫光」代表、中村圭一さまにお話をお伺いしました。


ファンのリクエストによる工房の再興

―どのように工房を始められたのですか。

中村さん(以下敬称略):
私の父が、長らく川口駅近くの工房に勤めていたのですが、需要の減少によりその工房が閉められることになりました。ですがありがたいことに、復活を望むファンの方がいらっしゃったため、道具を譲っていただき、1987年に錫光を設立し、生産を再開しました。

―何名くらいで制作をされているのでしょうか。

中村:
私と、陽山(ようやま)という職人の2人で制作をしています。子どもは大学生と中学生の二人がいますが、この仕事についてはどう思っているんでしょうねぇ(笑)。

―陽山さんは、なぜこの道に入ったのですか。

陽山さん(以下敬称略):
金属工芸に興味があって、色々と探していたところ、こちらの工房にたどり着きました。こちらの工房に入って、今年で15年になります。


他にはない、錫器の優れた実用性

―錫器にはどのような特徴があるのでしょうか。

中村:
昔は、井戸に錫を投げ込んでおくと水が濁りにくく、ぬめりやコケもつきにくいと言われていました。科学的に証明されているわけではないのですが、錫器には水やお酒をまろやかに、美味しくする効果があるようです。数年前、渋谷のヒカリエで、磁器と錫器で水と日本酒の試飲をしてもらうテストを一ヶ月にわたって行ったところ、水では100人中89人が、日本酒では90人以上の人が、錫器で飲んだ方が美味しいと答えたという結果が出ています。

―ヨーロッパでも、磁器が普及するまで錫器は盛んに作られていたようですが、ヨーロッパと日本の錫器にはどのような違いがありますか。

中村:
まず、材料となる合金の構成が違います。ヨーロッパの錫器に使われる地金には、3-5%くらいのアンチモンという金属が含まれるのが普通です。これは錫に硬度を出すためです。日本では、かつては鉛を入れていましたが、厚生労働省の指導により、直接口に触れる食器には鉛を使えなくなりましたので、現在では97%の錫に、銀や銅を入れています。


熔解した状態の錫。ずっしりと重い。
熔解した状態の錫。ずっしりと重い。

錫という金属は、230℃と融点が低いとともに、柔らかく、加工しやすいという特徴があります。最近話題になっている「曲がる錫器」は、100%が錫でできていて、全て鋳物です。錫光で制作している錫器は、地金に錫以外の金属を入れて硬度を出し、表面を削ることで飲み口を滑らかにしたり、薄く繊細な加工ができるようにしています。

また実用面では、錫は銅など他の金属に比べて熱伝導性が低いのですが、金属であるためガラスや陶器よりは熱伝導性は高くなっています。また厚みがあることも手伝って、保温性・保冷性が高く、お燗用の酒器やビールのタンブラーに適しているというわけです。

その他、錫は銀のように黒くならず腐食もしにくい安定した金属であるうえ、防湿性も高いので、茶箱や茶筒など、保存容器には最適です。

陶磁器のように落としても割れることはありませんが、柔らかい金属ですのでへこんだりすることはあります。その場合も、へこみや汚れを除去してメンテナンスができますし、最後の手段として溶かして鋳直すことができます。融解のときの気化や、削りの工程で重さは3分の2か半分くらいにはなりますけどね。


錫光に受け継がれる独特の制作工程

―どのような工程を経て制作されていますか。

中村: 鋳造で作る錫器は、鋳上がったものを磨き上げるだけですが、錫光では酒器などには削りの工程が入ります。(実際に工程を見せながら)大まかにこんな流れで制作しています。

1.鋳込み:鋳込みが終わったところ。かなりの厚みがある。
1.鋳込み:鋳込みが終わったところ。かなりの厚みがある。

1.鋳込み ・・・融解した錫を、鋳型に流し込み、そのまま冷却して原型を作る。








2.ろくろ挽き:革切り包丁での仕上げ。造形に最後の磨きをかける。
2.ろくろ挽き:革切り包丁での仕上げ。造形に最後の磨きをかける。


2.轆轤(ろくろ)挽き ・・・ろくろに、「モタセ」という各製品サイズに合った台座をはめ込み、鋳上がった原型をまずは「カンナ」で粗挽きし、大まかな形を整える。その後、レザークラフトなどで使用する「革切り包丁」で、仕上げ挽きを行い、細かい部分まで整える。削りの工程を経ると、鋳造されただけの原型と比べると、約2分の1の重さになり、表面に光沢が出る。



3.加飾:流れるような渦状のツチメ。
3.加飾:流れるような渦状のツチメ。

3.加飾・・・次の三種類がある。
  (ア)ツチメ:鎚で表面を叩いて模様をつける。目にムラが出ないよう、同じくらいの粒度の砥石で研いだ鎚を使う。
  (イ)絵付け:松脂をアルコールで溶かして絵柄を書き、その周りを薄い硝酸で溶かして絵柄を浮き上がらせる。昔は、漆で絵柄を書き、梅酢で溶かしていた。
  (ウ)着色:漆に顔料を溶かしたもので着色する。



凝った造形は鋳造する。蜻蛉は今にも動き出しそうだ
凝った造形は鋳造する。蜻蛉は今にも動き出しそうだ


―箸置きなど、ちょっと複雑な造形はどのように制作するのですか。

中村:
凝った造形は鋳造で作ります。原型は木彫刻師に制作を依頼し、シリコン型を利用することもありますね。桜の花びらや、蜻蛉など、色々な造形に挑戦しています。




中村さん(左)と陽山さん。上の額に「次百(次の百年)」の文字が見える
中村さん(左)と陽山さん。上の額に「次百(次の百年)」の文字が見える



▼訪問を終えて
鋳上がった時にはぼってりと厚い酒器の原型が、中村さんの手にかかるとみるみる洗練された形に削り上がっていくため、いともたやすく作れるように見えてしまいますが、当初はなかなか思った形にならず苦心されたそうです。利用する道具は、制作する製品のサイズや工法に合わせたものが数限りなくありますが、中村さんは瞬時に目的に合ったものを手にされていました。

工程だけでなく、制作のためのメモなども惜しげもなく見せてくださいましたが、見ただけで模倣することなど不可能であり、長い時間をかけて培われた経験だけが、洗練された造形を生み出しているのだと思います。



一点、いただいて帰った酒器をさっそく家で使ってみたところ、口に当たる部分が絶妙な厚みに調整されており、飲みやすさへの配慮が感じられました。錫という金属の特性だけでなく、目に美しく持ちやすいフォルム、重さや質感、飲んだ時の口当たりなどすべての相乗効果が飲み物を美味しくするのだと感じました。



今では、錫器は陶磁器などと比べて生活用品として一般的ではなくなっていますが、「体験の質」が求められる昨今、いつもの道具を錫器に入れ替えてみることで、レコードに針を落として音楽を聞いたころのような、そんな特別な時間を味わうことができるに違いありません。




▼関連リンク
手仕事にこだわる錫製品製造販売店 錫光