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東京散歩

2011/07/31
東京散歩

皇居(江戸城)

東京にはいいろいろな旧所名跡がある。その代表各が「皇居」(江戸城)といえるかも知れません。江戸城は長禄元年(1457年)に大田道灌が現在の皇居東御苑あたりに約一年で築城した事は有名な話として伝えられています。その江戸城のあった江戸の始まりは、1180年の源頼朝の伊豆挙兵の頃に、現在の皇居あたりに豪族の江戸重長が館を築いたのが江戸の始まりと歴史書には書かれているといわれます。私たちは「江戸城」といえば徳川家の居城の印象が強いのですが、徳川家康が江戸城に入るのは天正18年(1590年)の8月ですから、その間の江戸城はというといろいろな歴史があるようです。その当時大田道灌は戦上手で知られていました。その大田道灌はこの江戸城の周りに川越城、岩槻城、鉢形城などを築き関東平野を治めていましたが、関東菅領の上杉氏に倒されてしまします。その後江戸城は北条氏の支城なりますが、その北条氏も本城小田原城が1590年に豊臣秀吉に滅ぼされます。豊臣秀吉は北条氏の後を関東(8カ国)を徳川家康に与えますが、秀吉の陰謀かどうかは歴史の謎ですが、家康は国替えとなり駿河を離れ江戸城に入ります。これが徳川260年の始まりとなるのです。
慶応3年(1867年)10月14日、最後の将軍第15代将軍徳川慶喜が大政奉還をして政権を天皇に返し、徳川幕府は滅びます。慶応4年2月江戸は東京に改められ、その年の10月に明治天皇が東京に行幸し、江戸城は東京城に改められ東京城は「仮皇居」となります。時は明治となり翌年(明治2年)に明治天皇は再び京都から東京に行幸され「皇居」となり今日に至っているのです。皇居は東西に1,5キロ、南北に2キロの世界最大の面積を持つお城といわれますが、東京で一番の観光スポットで休日は世界各国から訪れる観光客で賑わいます。
その皇居でも一番の名所は「二重橋」。二重橋はその昔は木製でしたが壕が深いため橋脚が立てられず橋を二重にしたとの事。1888年に現在の鉄製に改修され、春夏秋冬その色合いを変えあの美しい容姿で見る人を和ませてくれます。
皇居東御苑の北の門を「平河門」といいますが、今の平河町に面した所の門ですが、その当時この門は大奥に近い事から大奥の女中たちの通用門で「お局門」とよばれていた。春日の局が門限に遅れて一夜を明かしたのはこの門といわれています。またこの門は死者や罪人が運び出される事から「不浄門」とも言われます。
二重橋の入り口になるのが「桜田門」があります。万延元年(1860年)3月、大老・井伊直弼が水戸藩士らの襲撃に合い暗殺された「桜田門外の変」の場所で、今は警視庁の庁舎が立っている。桜田門は、内桜田門(拮抗門)と内桜田門があり私達がよく知っている桜田門は外桜田門の事を言います。大正・昭和の数々の歌われている皇居や周辺の名所旧跡を歩く東京散歩もまたいいものと思います。
(2011/7/31 oikawa)