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お香講座


香りに出会う

香りに出会う

雑誌『自分時間』掲載:「香りに出会う、人に出会う、和の心」

香道という言葉は知っているけれども、一体どういうものなのか。
体験したいと思うが、その機会もないし、
それになにか格式張っているようで少々気後れする。
しかし、香しい人にもなってみたい。
そういった人のための“深香如意(しんこうにょい)”。
深く香りに聞いて意のままに生きよう。
そう思えばもうあなたは“香りの冒険者”です。

私は、「どうもあなたはむいている」との一言で香炉を持つようになりました。
香しい男にでもなりたいと思ったのかもしれません。
最初は右も左もわからぬ道、かえってそのことがよかったようです。
すべてが新鮮なのです。

ある朝、目覚めて天上を見つめ考えました。
なぜ鼻は顔の真ん中にあるのか。
耳の位置にあってもいいし、肩にあってもいいのじゃないか。
考えること数日、判明しました。

嗅覚は五感のアンテナなのです。
身体の内と外は呼吸でつながっています。
危険なものが入ってくるやいなや匂いでわかるのです。
すぐさま、五感をたたき起こし、危険から回避します。
また、安全で、えもいわれぬ良き香りは五感を喜ばせ、
脳の細胞を活性化します。
それも、ゼロ・コンマ2、3秒の速さだといいます。

最近なにか憂鬱だ。
世の中暗いなあ、と思うようになったら、要チエックです。
毎日香りで自分の健康度を点検する人がいます。
よく香りが判別できたら健康、よく判別できなかったらどこか弱っている。

香道ではこの香りを判断することを“香りに聞く”といいます。
ここが重要です。
嗅ぐのではなく“聞く”。
「を」ではなく「に」なのです。
「聞香(もんこう)」という作法の誕生です。

大いなる自然の恵みである香木の香りに融けあうには、
「に」の精神が大切なのです。

初心者の頃、香の先輩に尋ねたました。
『聞香』というのは、と。
「私も若い頃、お尋ねしたの、先代の家元に」
そのとき、目は潤みはじめていました。
「おやさしかったわ」
遠いところを見つめるように「そう、香りに聞くのだよ、とおっしゃったの」。
その時、なにかが胸の奥ではじけました。
言葉では伝えきれないものがある。それがそのことだと。
先輩の声の抑揚、表情から、トータルに伝わってくるもの、泪とともに。

直感したのです。
大切なのは受け入れるという心だ、すべてを。
自我を捨て無垢の心で、“香りに聞いていく”。
そうしなければ、大切なものは聞こえてこないのだと。

今、仲間たちと物語る香り、“聞香・心の旅”を楽しんでいます。
「源氏物語」や「平家物語」、「西行」、「芭蕉」などを香りに聞く。
「星の王子さま」も。
男性陣に圧倒的に人気なのは「信長・夢幻香」です。
しかし、「源氏物語」もまんざらではないようです。
「もっと早く知っていたらなあ、源氏を」
「どうしてですか?」
「いやぁ、結婚生活がもっとうまくいっていただろうになぁ」。

先人たちは多くのことを残してくれました。
それは豊かな遺産です。
どう生かすかは、私たち次第。
真実を心に持ち、とりよく生きよう。
かの名探偵シャーロック・ホームズはいいました。
「優秀な探偵には、少なくとも75種の香りの知識が必要である」と。
彼は香りの知識で犯人を見つけだしましたが、
私たちは香りによって何を見いだすでしょうか。


小原流『挿花』に掲載された原稿からすこし手を加えました。

“この幽玄なるもの・香りの日々”

シャーロック・ホームズ曰く「優秀な探偵には、少なくとも 75種の香りの知識が必要である」と。
彼を香道の席に招待すればすべての香を聞き分けるのでしょうか。
香木がもつ優しく幽玄な香りは、自然の大いなる恵み、心の癒しです。
彼ならきっと香道を好きになるだろう、などと考えながら銀座通りを横切り写真展の会場へ。

ヒマラヤの麓、ムスタン王国を取材した写真展。
知人の写真家が香の焚かれた会場に、 数珠を身につけて立っていました。
「ムスタンでの最初の朝、目覚めると目の前で煙が濛々(もうもう)としていてね。
火事かと思って飛び起きたよ。それが香を焚いていたんだ。 
ムスタンで は、一日が、香で清め、祈る事から始まるんだね」。

人の生のあるところ“香り”在りです。
仏教原点の地・ヒマラヤの麓に香あらば、日本にも仏教と共に 香が伝来。
聖徳太子は淡路島に漂着したという“香る木:沈香木”の香りで 瞑想し、“和による救い”を願っておられたにちがいありません。
鑑真和上がお伝えになった練香も、華麗な薫物(たきもの)として 紫式部は楽しんでいたことでしょう。
源氏物語は「大殿のあたりのいひしらず匂い満ちて、人の御心地 いと艶なり」と空薫(そただき)の心を伝えています。
衣服に移香、 部屋に空薫、男女の恋の場面に香が登場するようになったのはこの頃です。

幽玄なる一木の沈香を愛するのは武士たちの時代。
バサラ大名・佐々木道誉は名香を集め、足利義政が続きます。
三條西実隆と志野宗信は名香の芳香と和歌を結び付け、香道に至ります。
これこそ、香を愛する者の究極の情熱、聞香(もんこう)の始まり です。
心の道、精神の極み。一息一息、心を静め、香りに命を照らして聞くのですから。

1574年3月、織田信長はお供の御馬廻のまえで、正倉院に伝わる名香木“蘭奢待(らんじゃたい)”を、一寸八分切り取ります。この剛毅な男も馬尾蚊足(ばびぶんそく)の小さく細く割った香木で香に聞きいっていたのでしょうか。
その時、宗易:千利休も同席していたかも知れません。
利休を慕った芭蕉は『野ざらし紀行』の一節に記します。

  蘭の香や蝶のつばさに薫物す

江戸時代には香は広く親しまれ、庶民の間にも香のたしなみがゆきわたったそうです。
春が近づいたことを野に咲く花の芳香で気づいたという古人たち。
現代は香りを生かし、快適な環境づくりを目指すアロマコロジー が注目されています。
いつの時代にも、自然を大切にする心を失わず、香りに満ちた豊かな日々を送りたいものです。
             
  先日、香道をたしなむ友人が、はじめて香元をつとめるというので出かけてみました。
愛らしいお手前で、微笑ましく、香も豊かに香っておりました。
少女の頃、よく遊んだ夏の草原、その夕暮れの思い出を三種の香木で表現したかったそうです。
正客からは「今年一番のいい思い出になりました」とお褒めの言 葉がありました。 
今日も彼女の部屋には素敵な香りが漂っている事でしょう。

香りに出会う