七夕にみる財政政策のすゝめ
2013/07/06七夕にみる財政政策のすゝめ
雨の七夕。そんなものは皆様もう慣れっこですよね。ご存じの通り、例年なら7月7日は梅雨真っ只中です。今年はまさに本日梅雨明けが発表されましたが…。気象庁の統計データによりますと、東京の過去30年間の天気は雨:43%、曇り:23%と、雨天・曇天で7割近いのです。天の川ではなく梅雨前線が空に横たわっているのですから当然といえば当然ですね。
そしてこの「星を愛でる日」がこんな梅雨のど真ん中になったのが、旧暦と新暦の違いに因るものである、ということも大分浸透してきているように思えます。
古から幾つかの暦を使ってきた日本において、「旧暦」とは、正しくは「天保暦(太陰太陽暦)」のことであり、明治5年一杯まで使われてきました。その最大の特徴は「月の運行」に合わせて日々を過ごしたということです。
旧暦では、ひと月を「新月から満月を経て次の新月まで」としました。ですからひと月は、月の周期に合わせて毎月等しく29.53日で終わり、12周すると1年が終わりました。
つまり新暦よりも1年が短いのです。そこに季節とのズレが生まれ、そのズレがひと月分溜まったところで「閏月(うるうづき)」をつくり、その年は13周(13ヶ月)で1年とした訳です。
七夕をこの旧暦に換算すると、季節は現在の8月初旬~中旬にあたり、二十四節気で言うところの「立秋」であり、つまりは初秋の行事なのでした。何とも不思議な心地ですが、確かにこの時期なら、梅雨もすっかり明け、天高くに天の川が見えるでしょう。
このように新暦と旧暦が混ざり合うことで、季節のイベントが正しい季節に行われないという弊害が生まれてしまいました。
季節感を大切にする日本人としては、寂しい話ですね。
なぜ、そんなことが起こったのでしょうか。時代を遡って見てみましょう。
ときは明治5年、政府の財政は逼迫しておりました(大隈重信回顧録「大隈伯昔日譚」による)。政府としては、何とか支出を抑えたいわけです。にもかかわらず、翌明治6年は旧暦閏月があり、1年が13ヶ月と例年より1ヶ月多く、このままでは官吏に月給を13回支払わなければなりません。
そんな年の瀬に、ある案が浮上します。「新暦を導入すれば、閏月がなくなる!」。
さらに暦のズレを考えると、明治5年の12月2日が新暦換算では12月31日であり、年明けから新暦を運行するならば、12月は2日しかないので12月分の給与も支払わずに済みます。
では!ということで明治5年の旧暦11月9日(新暦12月9日)という年末ギリギリに、急遽「太陰暦ヲ廃シ太陽暦ヲ頒行ス」と政府が公布します。
世間は大混乱に陥りました。12月2日の翌日が正月だ、といきなり言われたら驚きますね。当然です。(12月生まれの人々は、誕生日のお祝いができないじゃありませんか。)
そんな政府の「2ヶ月分の給与のため」という場当たり的な財政政策の一環により、日本に新暦が導入されました。
新旧暦が未だに混ざり合っているのは、そんな慌ただしい移行の名残なのかもしれません。
正しい季節に七夕を楽しむのであれば、本年は8月13日が旧暦七夕に当たります。
今年はいつもと趣を変えて、この日に夜空を見上げてみるのもいいかもしれませんね。
ちなみに…改暦からたったひと月後、福沢諭吉の著した「改暦弁」という新暦説明本が、10万部を超えるベストセラーとなり、人々の新暦への理解を助けました。こんな大混乱の中でも、「学問」の蓄積はものをいうようです。
2013/7/6 yasuda