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変化する黄泉の国観

2012/08/23
変化する黄泉の国観

  天照大御神(あまてらすおおみかみ)の要請を受け、自ら開拓した葦原中国(あしはらのなかつくに)の献上を決めたオオクニヌシノミコト。国を去るにあたって、「高天原(たかまがはら)に届くような千木(ちぎ)がそびえる神殿を建ててほしい」と条件を出す。さらに「私の眷属は、コトシロヌシを神々の先頭や殿(しんがり)として統率するようにしてくれれば、背くことはありません」と服属を誓った。オオクニヌシは黄泉の国に去ったとされ、出雲は特別な地となった。


 <僕(あ)は百足(ももた)らず八十垌手(やそくまで)に隠りて侍らむ(私は遠い遠い幽界に隠れましょう)>
 須佐之男命(すさのおのみこと)の命で国づくりを進めたオオクニヌシは、この言葉を残して現世である葦原中国を去る。天照大御神の要請に応じて行ったとされる国譲り神話である。
 「国譲りによって地上界での使命を終え、新たに黄泉の国の支配者となった」と島根県立大短大部名誉教授の藤岡大拙氏は話す。「ただし、そうなると極めて奇妙なことになる」
 天照大御神の血筋を受け継いだ神武以降の歴代天皇は、亡くなると黄泉の国へ行く。そこにはオオクニヌシが厳然と控えている。国譲りで天上界の神が勝利したはずなのに、最終的にはオオクニヌシが一番偉い神―という解釈も成り立つのだ。
 この点は室町期ごろから議論になっている。こうして残る存在感こそ、「神々の宿る国」として日本人の心のよりどころであり続ける出雲の奥深さにつながっている。
 オオクニヌシが新たな支配地とした黄泉の国は、その入り口「黄泉の穴」の場所をめぐって、新たな議論も起きている。島根半島の西端、島根県出雲市大社町の脳島(なづきのしま)の岸壁で平成6年、郷土史家らの「銅山を訪ねる会」(梶谷実代表)が巨大な洞窟を発見した。
 オオクニヌシを祭る出雲大社から北に約6キロ。漆黒の闇に包まれた洞窟は、はるか前方の穴からわずかな日差しが入り込むだけで、岸壁に打ちつける日本海の荒波の音が不気味に響く。
 <黄泉の穴は、北の海濱(うみべ)にある脳磯(なづきのいそ)>
 出雲国風土記にはそんな記述がある。梶谷氏はこの記述を基に、「磯と島は同じ意味。脳島の洞窟こそ黄泉の穴」と推測する。
 洞窟まではヤブツバキの自生林が広がり、けもの道を1時間ほど歩かねばならない。古事記が「八十垌手」と表現した、幾重にも曲がりくねった険しい道のイメージとぴったりだ。
 一方、古くから黄泉の穴といわれる猪目(いのめ)洞窟遺跡(出雲市猪目町)は、脳島洞窟の東約1.5キロに位置する。弥生時代の人骨13体分が発見されてもいる。
 元県教育次長で考古学者の勝部昭氏は「人骨が発見された猪目洞窟に説得力があるが、脳島の洞窟も検討しなければならない」と話す。脳島洞窟の地元の町おこしグループ「鵜鷺(うさぎ)げんきな会」会長の藤井健蔵氏は「研究者も訪れるようになれば」と、今後の本格的な調査に期待を寄せる。
 国譲りで高天原(大和政権)に統治権を渡し、一地方になったはずの出雲。しかし、藤岡氏は「国譲り後も天皇家の神々と相対し、存在感を保った」と指摘する。イザナギ、イザナミ神話で恐怖の場所とされた黄泉の国がいつの間にか、オオクニヌシが住み、歴代天皇も死後には行く所とされている死生観の変化にも注目したい。
 大和政権という国家権力と対極にあった出雲を治めたオオクニヌシは今、庶民の神、大黒さまとしても親しまれている。


(出典・産経新聞2012/8/17 山崎泰弘 小畑三秋)