NPO法人日本伝統文化振興機構は、日本の伝統文化の継承・創造・発展のための活動を行っております。

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茗荷わらじ

2010/06/08
茗荷わらじ

初夏。素麺や冷麦がほしくなる季節である。薬味に茗荷や紫蘇の類が準備されていれば、なお食指が動かされる。茗荷は、日本原産という説もあれば、中国南部原産で古代に日本に入って野生化したとの説もある。目立たないが、暑い時期に存在感が増してくる日本らしい食材だといえる 。

この茗荷の葉は、江戸時代にわらじを編む素材として利用されたという。わらじは、一般的には、藁を編んだものであるが、戦地で履くわらじには、茗荷の葉が使われたのだという。確かに、稲からできた藁よりも、茗荷の葉の方が丈夫そうに思える。「竜馬伝」の時期のことであるが、江戸幕府は欧州使節団「文久遣欧使節」を派遣した際に、40名足らずの団員のために、千足単位のわらじを船に積み込むことになった。文字通り、彼らにとっては、戦地に赴く心境にあったのであろう。このとき積み込んだわらじも茗荷で編んだものだった。当時でも材料の茗荷の葉を集めるの苦労したと記録にある。

その後、わらじに取って代ったのは、ゴム靴(ズック、地下足袋)や革靴、合成樹脂(サンダル)である。藁に比較すると抜群の耐久度がある。ちなみに、前鳩山首相の母方の祖父が、地下足袋を発明し財をなした石橋正二郎である。履物の近代化を振り返って見ると、その素材が、国内で採れる自然素材から、ゴム、皮革、石油製品など海外からの輸入素材へと瞬く間に変化したことがわかる。輸入素材のほうが、耐久性もあり、経済的であり、用途に応じた製品開発が容易だったことによるのだろう。

しかし、稲作の派生物である藁を使い、老人から子供にたるまで、自分の足サイズに合わせて、誰もがわらじを編むことが出来た時代があったことは、素晴らしいことではないだろうか。昔の農家には、家畜の飼料、堆肥などのために、一定量の藁を蓄えていたものである。藁は、日本人の生活に欠かせない材料だったが、その良さも、外来素材によって駆逐されてしまった。温暖多湿な国にあって、年中、暑苦しい革靴を履いて、水虫に苦しんでいるのは、滑稽でもある。かといって、現在の日本家屋の多くには、藁を蓄えるような場所はない。先の遣欧使節のわらじであるが、フランスの港で荷降ろしされたが、チョンマゲの武士が履く機会はなく、大量の茗荷わらじが、その後どう処分されたかも不明とのことである。(了戒)