総数:401件
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主要製造地域:石川県 |
《特徴》
今からおよそ340年前、現在の石川県加賀市(旧・山中町)の山あい、草深い九谷の里で生まれました。
北西に日本海、東南に霊峰白山をひかえたおおらかな自然を母とし、絢爛たる加賀百万石文化を磁器に託した九谷焼は、やがて、冬の期間を深い雪に閉ざされる風土に逆らうように、多彩で大胆な上絵付を特徴とする重厚な焼物へと花開いたのです。
一時は廃窯という試練をくぐり抜けながら、脈々と現代に息づく九谷焼は、そのガラス質の肌に触れると、なぜかかすかなぬくもりを感じさせます。
それは、人から人へ、技から技へと受け継がれた、ふるさとの土のぬくもりなのかもしれません。
[ 国指定伝統的工芸品(経済産業大臣指定) ]
提供 : 石川新情報書府 様 (製法や文章情報)、色絵花鳥図大鉢(能美市九谷焼美術館|五彩館|) 様(写真)
今からおよそ340年前、現在の石川県加賀市(旧・山中町)の山あい、草深い九谷の里で生まれました。
北西に日本海、東南に霊峰白山をひかえたおおらかな自然を母とし、絢爛たる加賀百万石文化を磁器に託した九谷焼は、やがて、冬の期間を深い雪に閉ざされる風土に逆らうように、多彩で大胆な上絵付を特徴とする重厚な焼物へと花開いたのです。
一時は廃窯という試練をくぐり抜けながら、脈々と現代に息づく九谷焼は、そのガラス質の肌に触れると、なぜかかすかなぬくもりを感じさせます。
それは、人から人へ、技から技へと受け継がれた、ふるさとの土のぬくもりなのかもしれません。
[ 国指定伝統的工芸品(経済産業大臣指定) ]
提供 : 石川新情報書府 様 (製法や文章情報)、色絵花鳥図大鉢(能美市九谷焼美術館|五彩館|) 様(写真)
素材 | 陶石 |
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製法・工法 | 【1】 採石
小松市や山中町の陶石場で採石します。 - 坏土工程 - 【2】 粉砕 採掘した陶石を工場に運び、クラッシャー(粗砕機)、スタンパー(粉砕機)で砕きます。 さらに玉石とともにトロンミル(粉砕配合機)に入れ、細かく粉末にします。 【3】 水簸 成形しやすい粘土にするため、粉末になった陶石を水(水簸槽)に浸し、陶石中の鉄分や不純物を除去します。 【4】 坏土 余分な水分を除き、適当な固さの坏土を完成させます。 【5】 土もみ 均一な坏土になるように練り上げます。 水分の濃密度を平均化し、陶土内の空気を抜きます。近年は真空土練機を使用します。 この工程を十分にしないと焼成後のヒビ・ヒズミの原因となります。 - 素地工程 - 【6】 成形 形状・種類によりさまざまな成形方法が行われます。 円形状のものはロクロ成形で、主に動力ロクロを使用します。 角形や複雑な形のものは鋳込成形で、石膏で型を作り、泥漿を流し込みます。 ほかには押型成形・機械成形・手捻成形などがあります。 【7】 乾燥・仕上 天日や乾燥機で乾燥させます。 ある程度粘性の残っている間に、急須のつまみや香炉の足付けなどをします。 また、半乾きの状態で、仕上カンナを用いて高台削り、外側削り、縁仕上など細かい仕上を行います。 【8】 素焼 原料の土を乾燥させ、強度を高め、可燃物を燃やす目的で行います。 器物の損傷を防ぐため、窯内の温度は徐々に上げ、約8時間焼成させます。 約800℃でねずみ色の土が肌色の素地となって焼き上がります。 【9】 下絵付 主成分が酸化コバルトの染付呉須で下絵をほどこします。 一般には染付と呼ばれ、焼成後には紺色となります。 【10】 施釉 素焼の表面に均等に施釉します。 施釉には、浸しがけや印毛塗りなどがあります。 焼成後、釉薬は透明のガラス質となり、陶器の表面を覆います。 【11】本窯 現在では工業化され、以前のように登窯はあまり見られません。 多くはガス窯で、徐々に温度を上げ、1,300℃になるまで約15時間焼成します。 - 絵付工程 - 【12】上絵付 呉須(黒)により絵模様の輪郭を骨描き(線描き)します。 水墨画のように呉須濃(濃淡)をつけることもあります。 そして骨描きの上に、未発色の絵具をのせるように置いていきます。 【13】上絵窯 上絵付したものを800℃~1,000℃になるまで上絵窯で焼成します。 未発色の絵具が美しい五彩に変貌します。 【14】金窯 作品によっては上絵窯の次に金彩・銀彩をほどこし、金窯(約400℃)で焼成します。 【15】完成 |
歴史 | 九谷焼の発祥は、今からおよそ340年前の明暦年間(1655~57)にさかのぼります。
加賀藩の支藩大聖寺藩の殖産興業の一環として領内の鉱山開発に着手した初代藩主前田利治が、江沼郡九谷村の金山で磁鉱が発見されたことを知り、金山の錬金術師だった後藤才次郎に色絵磁器を焼くことを命じたのが始まりといわれています。 才次郎は、当時すでに磁器の産地として知られていた肥前(佐賀県)におもむき、酒井田柿右衛門によって完成された赤絵の技術を習得しました。そして有田の工人を連れて帰国するとただちに九谷に窯を築き、加賀の工人田村権左右衛門らを指導して色絵磁器製造に着手したのです。 九谷村で焼かれはじめたことから九谷焼と名づけられた焼物は、絵付に紺青・紫・黄・緑・赤のいわゆる九谷五彩をふんだんに用い、中でも黄と緑を多用した『青手』と呼ばれるものがほとんどでした。 そのころ焼かれたのは鉢や皿、碗類が多かったようです。しかし、素地が青みがかっているうえに砂混じりで粗雑だっために、それを覆い隠す方法として、花鳥山水や幾何学模様などで全面を塗りつぶす九谷焼独特の塗埋技法が生まれたといわれます。 才次郎の築いた窯は、こうして短期間のうちにめざましい発展をとげましたが、およそ50年続いた後の宝永7年(1710)に突然廃窯となりました。 理由は、事業推進の主人公だった二代藩主前田利明や、指導者の後藤才次郎が没したためとする説、藩内の政治や社会情勢が原因とする説などいろいろありますが、真偽は今もって謎とされています。 ともかく、廃窯によってそれまで焼かれた九谷焼は後に『古九谷』と称され、再興された九谷焼とは一線を画しています。 |
◆展示場所
◎石川県立伝統産業工芸館
〒920-0936 石川県金沢市兼六町1-1
TEL : 076-262-2020 / FAX : 076-262-8690
◎石川県立美術館
〒920-0963 石川県金沢市出羽町2-1
TEL : 076-231-7580 / FAX : 076-224-9550
◎能美市九谷焼美術館|五彩館|
〒923-1111 石川県能美市泉台町南56番地
TEL : 0761-58-6100 / FAX : 0761-58-6086