総数:401件
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主要製造地域:沖縄県 |
《特徴》
「紬」は「紡織り」の略で、蚕繭から糸を取り出し、よりをかけて丈夫な糸に仕上げて織った絹織物のことです。
沖縄の織物の素材をみると、芭蕉・芋麻・木綿・絹がありますが、絹織物は首里を除くほとんどが、久米島で織られていました。
14世紀の末頃、『琉球国由来記』という本の中で、久米島の「堂の比屋」という人が、中国から漂流してきた人と親しく交流するようになり、その後中国に渡り、養蚕の技術を学んで帰ってきたと書かれています。
しかし、なかなか技術が進展しなかった為、1619年、越前より坂元普基が国王の命を受けて来島し、蚕の飼い方や桑の木の栽培の仕方、綿子(真綿)の製法を伝え、その後、薩摩より友寄景友が来島し、紬の織り方と糸の染め方を伝え、技術的に従来にない飛躍的な進歩を遂げたと考えられます。
[ 国指定伝統的工芸品(経済産業大臣指定) ]
提供 : 久米島紬事業協同組合 様
「紬」は「紡織り」の略で、蚕繭から糸を取り出し、よりをかけて丈夫な糸に仕上げて織った絹織物のことです。
沖縄の織物の素材をみると、芭蕉・芋麻・木綿・絹がありますが、絹織物は首里を除くほとんどが、久米島で織られていました。
14世紀の末頃、『琉球国由来記』という本の中で、久米島の「堂の比屋」という人が、中国から漂流してきた人と親しく交流するようになり、その後中国に渡り、養蚕の技術を学んで帰ってきたと書かれています。
しかし、なかなか技術が進展しなかった為、1619年、越前より坂元普基が国王の命を受けて来島し、蚕の飼い方や桑の木の栽培の仕方、綿子(真綿)の製法を伝え、その後、薩摩より友寄景友が来島し、紬の織り方と糸の染め方を伝え、技術的に従来にない飛躍的な進歩を遂げたと考えられます。
[ 国指定伝統的工芸品(経済産業大臣指定) ]
提供 : 久米島紬事業協同組合 様
素材 | 紬糸(絹糸) |
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製法・工法 | 【糸作り】
[生糸]養蚕→生糸→煮繭→繰糸→撚糸→精錬 [つむぎ糸]養蚕→繭の精錬→真綿作り→糸紡ぎ ↓ 経糸・緯糸 【意匠設計】 図案作成→絣作り [経]印棒作成→綛糸糊付け→糸繰り→整経→印付け→絣繰り [緯]種糸作成→綛糸糊付け→糸繰り→整経→絣繰り 【染色】 [経][緯]→糊落とし→染色→[泥染め(黒褐色)][ユウナ染め(灰色)][ヤマモモ・クルボー染め(黄色)][その他植物染料] 【繊維準備】 [経] 地→小管巻→整織 絣→絣解き→大分け→小分け→小管巻→整織 [緯] 地→綛糊付け→糸繰り→整経→仮筬通し→経巻→絣割り込み→綜絖通し→筬通し→機仕掛け→整織 絣→糊付け・引き伸ばし→絣解き→柄合わせ→糊付け引き伸ばし→絣割り込み→綜絖通し→筬通し→機仕掛け→整織 【製品仕上げ】 選択→自然乾燥→地直し→折りたたみ→きぬた打ち→湯のし仕上げ |
歴史 | 沖縄は1609年に薩摩より侵略を受け、その2年後の1611年からいろいろな種類の税金が言い渡されました。
貢納布として、紬が記録に残っているのは1661年がもっとも古く、江戸で久米島の紬織りが、「琉球紬」という名で、もてはやされるのは、これから100年も後のことでした。 18世紀以後は、紬の生産が大変盛んになります。 近代に入ってからの資料によれば、両村で紬799反を税金として納めています。 この紬は、米の税金(租税)の代わりとして大半を納める仕組みで、これを「代納」といいました。 これにより、米の税金は軽減されましが、15~45歳までのすべての女性に課され、一種の人頭税とも言われ、たいへん負担の多いものでした。 しかし、不平等なことに役人の妻などは免除になったのです。 各集落には、染物文子という係が指導や監督をする「布屋」(現在の公民館)という建物があり、そこが機織りの工房となっていました。 明治30年代にはいって、御用布の制度はなくなりましたが、その頃までに伝えられた久米島紬織りの技能の伝統は、その後も脈々と伝えられ、現在につながっています。 琉球王府時代からの貢納布制度は、1879年(明治12年)の琉球処分により沖縄県になってからも存続し、以後、納付された紬は、宮古・八重山の織物とともに、那覇税務署に納められてから大阪市場で売却されていました。 ようやく1903年(明治36年)になって、地租条例・国税微収法の施行で廃止されました。 こうして織物税の制度が撤廃されて、人々は、自らの生活の糧を得る仕事として、再び紬を織ることに取り組むことになります。 ここから、紬の産業がはじまりました。 |
関連URL | http://www.kume-tumugi.com/ |
◆展示場所
久米島紬の里 ユイマール館
〒901-3104 沖縄県島尻郡仲里村字真謝1884-1
TEL : 0989-85-8333 / FAX : 098-985-8970