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総数:401件
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主要製造地域:青森県 |

錦石とは、青森県下のいたるところで産出され、磨くと美しい光沢をあらわし、碧玉(へきぎょく)・玉髄(ぎょくずい)・瑪瑙(めのう)・流紋岩(りゅうもんがん)・珪化木(けいかぼく)など、種類も多岐に渡ります。その色彩と紋様が、綾・錦とみまごうばかりに美しいところから、「錦石」と呼ばれていますが、一説には、産地の浜辺で色とりどりの錦石が波に洗われて光り輝く様子が、まるで錦織の布をうち広げたようであるところから名付けられた、とも伝えられています。
古来より、その美しさから人々に愛され続け、縄文時代には勾玉に加工されたり、室町時代には舎利石(しゃりいし)とともに尊ばれ、遠く唐(から)・天竺(てんじく)にまで輸出されていました。また、江戸時代には津軽玉(つがるだま)と称されて、かんざしや根付(ねつけ)として珍重されてきました。
現在では、庭石や飾石などの鑑賞用はもちろんのこと、指輪・ペンダント・帯留・タイピン・カフス・ボウタイなどのアクセサリーや装身具、小物などにも広く利用され、 郷土の特産品として親しまれ愛用され続けています。
平成8年には、青森県の伝統工芸品として正式に認定され、単に物産というだけでなく、 その文化的・歴史的価値が認められました。
[ 青森県指定伝統的工芸品 ]
提供 : 小田桐錦石研究所 様

素材 | 碧玉・玉髄・瑪瑙・流紋岩・珪化木など |
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製法・工法 | 【1】 切断
原石を小さく切断し、石の一番美しい箇所に印をつけます。 【2】 形成 印に合わせて荒割り・荒削りし、形を整えていきます。 【3】 研磨 形成が終わったら、研磨し完成です。 詳しくはこちら |
歴史 | 青森市岡町遺跡からもこぶし大の錦石2個が出土したり、その他県下各地の遺跡より、錦石の石鏃(せきぞく:矢じり)や石錐(せきすい:工具の一種)、瑪瑙(めのう)の石匙(いしさじ:打製石器)や赤瑪瑙のまが玉等の石器や、装飾品が出土していることから、錦石が古来より武具や装飾品として、加工され使用されてきたことが分かります。
江戸時代には、若狭出身の藩士 玉屋喜平 が、故あって故郷を出奔し津軽へ落ち着いた際に、錦石の製作を見て故郷の若狭瑪瑙を思い出し、弘前で錦石の製作技術を修行した後、帰郷しました。 若狭の国へ帰った喜平は、習得した珠作りの技術を広く伝え、現在の若狭瑪瑙細工の隆盛をもたらしたと伝えられています。 また後年、玉屋喜平の技術の流れを継いだ玉屋弥助が甲斐の国に入り、有名な山梨水晶細工の基礎づくりに貢献したと伝えられています。 若狭や甲州では珠作りの技術が伝承されましたが、本場の錦石は影をひそめ、その後絶えてしまいます。 再び、錦石の加工が再開したのは昭和初期に入ってからです。昭和中期には「にしき石同好会」が発足、全国的な石ブームの到来の影響もあり、 研磨技術が進歩し、加工販売業者が増え、愛好家も多くなりました。 |
◆展示場所
小田桐錦石研究所
〒038-0014 青森県青森市西滝3丁目19-27
TEL : 017-781-2347