総数:401件
総数:401件
- 北海道 (3)
- 青森県 (10)
- 岩手県 (6)
- 宮城県 (7)
- 秋田県 (9)
- 山形県 (11)
- 福島県 (13)
- 茨城県 (6)
- 栃木県 (8)
- 群馬県 (6)
- 埼玉県 (11)
- 千葉県 (6)
- 東京都 (14)
- 神奈川県 (5)
- 新潟県 (10)
- 富山県 (10)
- 石川県 (12)
- 福井県 (12)
- 山梨県 (7)
- 長野県 (7)
- 岐阜県 (10)
- 静岡県 (9)
- 愛知県 (14)
- 三重県 (14)
- 滋賀県 (9)
- 京都府 (17)
- 大阪府 (10)
- 兵庫県 (11)
- 奈良県 (8)
- 和歌山県 (6)
- 鳥取県 (6)
- 島根県 (11)
- 岡山県 (6)
- 広島県 (8)
- 山口県 (5)
- 徳島県 (4)
- 香川県 (7)
- 愛媛県 (9)
- 高知県 (5)
- 福岡県 (12)
- 佐賀県 (7)
- 長崎県 (6)
- 熊本県 (9)
- 大分県 (2)
- 宮崎県 (8)
- 鹿児島県 (7)
- 沖縄県 (8)
主要製造地域:大阪府 |
《特徴》
「大日本仏教最初」の石碑がある大阪の四天王寺は聖徳太子によって西暦593年に建立されました。そのため上町台地には百済からの技術者が居住し、後に仏壇・仏具の産地が形成される基になったのです。
大阪の仏壇・仏具は1400年にわたる長い歴史を誇ります。
江戸時代の大阪は、商人文化の発達した日本屈指の大都市であり、日本経済の中心でした。商人のその財力によって、仏壇も豪華なものになっていったと思われて います。大阪仏壇は、伝統工芸士の技が冴えた絢爛豪華な佇まいが何よりも最大の特徴となっております。
その他の特徴としては、文様を浮き立たせるため蒔絵技法や独特の研磨を行う塗り技法、大阪欄間で知られる掘り起こし技法の彫刻を使う、繧繝彩色などがあります。
[ 国指定伝統的工芸品(経済産業大臣指定) ]
提供 : 大阪宗教用具商工協同組合 様
「大日本仏教最初」の石碑がある大阪の四天王寺は聖徳太子によって西暦593年に建立されました。そのため上町台地には百済からの技術者が居住し、後に仏壇・仏具の産地が形成される基になったのです。
大阪の仏壇・仏具は1400年にわたる長い歴史を誇ります。
江戸時代の大阪は、商人文化の発達した日本屈指の大都市であり、日本経済の中心でした。商人のその財力によって、仏壇も豪華なものになっていったと思われて います。大阪仏壇は、伝統工芸士の技が冴えた絢爛豪華な佇まいが何よりも最大の特徴となっております。
その他の特徴としては、文様を浮き立たせるため蒔絵技法や独特の研磨を行う塗り技法、大阪欄間で知られる掘り起こし技法の彫刻を使う、繧繝彩色などがあります。
[ 国指定伝統的工芸品(経済産業大臣指定) ]
提供 : 大阪宗教用具商工協同組合 様
素材 | 木材、箔、漆など |
---|---|
製法・工法 | 1. 大阪仏壇(漆塗金仏壇)の製法
【1】 漆塗 木地に砥の粉、胡粉で下地を施しその上に、下塗り、中塗り、上塗りを繰り返し仕上げます。この場合極度にほこりをさけ、適当な湿度を保つことが重要です。 【2】 蒔絵 大阪仏壇に場合蒔絵が最大の特徴。大阪独自の技法であり、段金物を用いないで高蒔絵で金物方型を描く技法です。 【3】 彩色 木地彩色と箔彩色があります。上品な色彩で荘厳な美を描き出します。 【4】 錺金具 銅又は真鍮板を目的に応じた寸法に切り、タガネを用いて打ち抜き、切断面のひずみを修正し、大阪独特の青宣徳に着色します。 2. 大阪仏壇(唐木銘木仏壇)の製法 【1】 木地 長期天然乾燥された素材より良材を選び、必要部分の寸法に合わせて木取りします。硬質な唐木木材は特殊な立刃鉋で削り、留は留型に合わせ て作り、ニカワで接着して枠組みをします。 【2】 彫刻 仏教的文様をもとに作った型紙より、各彫刻部分に型写しをし、透し彫り、地彫り、仕上げ彫りをして、細部を紙やすりで磨き、その後着色、塗装し仏壇内に組み込みます。 【3】 塗装 研磨し調整された各部分の木地に古来よりの技法で着色し、その後天然漆を繰り返し塗り艶出しします。 【4】 組立 金表装、障子組子の紋紗張り、組立された部分の内部組込みの後、微妙に調子を合わせながら、戸障子の取付をします。その後全体の総点検をして仕上がりとなります。 |
歴史 | 大阪仏壇産地は、日本で最も古い歴史を持つ仏壇産地と言われています。552年、日本に仏教が伝来し、百済の威徳王から、海上の要所であった難波津の御津浦(現大阪市中央区三寺町)へ、経文と共に6人の仏工(仏師)、造寺工(大工・細目師)が遣わされた記録が残っています。(日本書紀)
593年聖徳太子が四天王寺を建立する際に、百済から4人の技術者を上町台地に住まわせ、のち、これら大陸からの技術者が中心になり大阪産地の仏壇・仏具生産が形成されたと伝えられています。 大阪仏壇が本格的に発展していくのは江戸時代になってからです。石山本願寺に代表されるように大阪はもともと浄土真宗の拠点でありました。檀家制度、宗旨人別制度等の施行で仏壇を設ける習慣が普及し、仏壇の生産は拡大していき、大阪は次第に産地としての体裁を整えていきました。 1800年代になり錺長や錺平など打ち出しの技法が錺金具で、光押し、重押し、粉留などが箔押しで、呂色塗りが漆塗りで開発されました。 彩色では繧繝彩色という優雅さを表現する技法が開発されました。 また金具の錆による損傷を防ぐため漆を盛り上げて錺金具を打ったように見せた高蒔絵の技法が開発されたのもこの時期です。 江戸初期以降、大阪産地では唐木仏壇の生産も行われるようになりました。仏壇需要の増加に対応して、杉や松・檜等で簡単な戸棚仏壇を作るようにもなりました。江戸中期以降は、紫檀、黒檀、花梨材など「からの木(唐木)」と呼ばれ輸人材で仏壇を作る職人も出てきました。 漆塗仏壇のデザインや技法を取り入れ、徐々に大阪産地独自の唐木仏壇として発展し塗仏壇と並んで大阪産地の主要製品となっています。 |
関連URL | http://www.osakabutsudan.com/ |
◆展示場所
大阪宗教用具商工協同組合
〒587-0062 大阪府堺市美原区太井355
TEL : 072-363-2160 / FAX : 072-363-2170