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NPO法人日本伝統文化振興機構は、日本の伝統文化の継承・創造・発展のための活動を行っております。
伝統工芸館 カテゴリ

総数:400件


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総数:400件

伝統工芸品千葉県

千葉県
工芸品の分類 木工品
工芸品名 雨城楊枝

主要製造地域:千葉県




《特徴》
君津市久留里の伝統工芸、黒文字楊枝(くろもじようじ)は、巧みな細工と品の良さからお茶席や日本料理店で利用され、またご家庭で「この楊枝で和菓子が食べたい」と言われる粋な道具として知られています。楊枝は基本のザク、飾り楊枝の松、竹、梅、末広。また、うなぎ、太刀などの変わり楊枝があります。形の由来は、女性の帯止めや髪飾りからきています。

クロモジの木は、久留里周辺の山からは、香りの芳しさや木肌の美しさで日本一のものが採れるといわれています。自生するクロモジの木を素性やねじれを見極めながら、厳選して採取してきます。
切り出すタイミングは、クロモジが地下から水を一生懸命吸い上げる時期に切り出すと、乾燥させると表皮がはがれやすくなるため、休眠状態にある10月から3月上旬までの間に採取しています。
クロモジの木は、成長が旺盛で切り出した木の脇には若木が育っています。5年程度でまた細工のできるような木に成長しています。

[千葉県伝統工芸品]
提供: 雨城楊枝 森 隆夫様、君津市観光課 様

素材 クロモジ:クスノキ科の高木
製法・工法 【1】コロ作り
半月~1カ月程乾燥させたクロモジを型で寸法を測り鋸で切ります。このクロモジの小片をコロと言います。小割りナタでコロを縦に5、6片に割ります。この時点でどの細工楊枝になるか既に決まっています。

【2】子割り
コロの中心を探して、なたを入れます、コロから素材をつくることを『小割』といいます。
コロの中心になたが入ると、コロは飛ぶようにはじけて割れます。

【3】削りだし
全体の形を整えます。手元の角を落とし『つめ』をつくり、途中から先端にかけて表皮を削り落とします。
歴史 江戸時代、金龍山浅草寺境内(今の仲見世)では、楊枝店が軒を並べるほどで、その楊枝は、現在のような形のものではなく、浮世絵にもでてくる、ふさ楊枝(柳の片方の先端を、なめしながら、たたいてふさ状にしたもの、もう片方は舌の汚れを落とす『こき楊枝』としても使用)。粋を楽しんだ江戸庶民の生活にはなくてはならない必需品であったようです。

1923年(大正12年)に起きた関東大震災では、これらの楊枝店も大きな被害を受けました。このような中、雨城楊枝の先代には、こんな逸話があります。楊枝を納めていた仲買人の多くが、代金の回収に血眼になったこのとき、当時の雨城楊枝職人であった『森啓蔵』も慌てて東京へ向かいました。しかし『森啓蔵』は、楊枝店へ代金の回収をしないばかりか、お見舞いとともに、楊枝店の復興への支援を約束し、このことが、多くの楊枝店から信頼を得るに至ったそうです。

順風万帆に見えた楊枝にも、時代の流れの中で、大きな危機を迎え、大正時代に入ると、歯ブラシが台頭し、この『ふさ楊枝』がくちくされ始めました。文献によれば、大正末期には、ほぼ『ふさ楊枝』の生産が終焉したそうです。現在の、雨城楊枝職人の『森隆夫(二代目森光慶)』によれば、祖父の時代には、雨城工房の一室で、ふさ楊枝が作られていたとの記憶があると言われています。

二度目の危機は、外国産の機械で作られた楊枝の輸入によって、手作り楊枝に割高感によって、消費が激減したときです。

『雨城楊枝』という名称の誕生は、昭和22年、目賀田周之介閣下の命名によるものです。
また、現在の細工楊枝としての型は、現在の雨城楊枝職人の『森隆夫(二代目森光慶)』の祖父に当たる『森安蔵』によって、考案されました。形の由来は、女性の帯止めや髪飾りから、そしてその大きさは楊枝職人としての経験によるものだそうです。

◆展示場所