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NPO法人日本伝統文化振興機構は、日本の伝統文化の継承・創造・発展のための活動を行っております。
伝統工芸館 カテゴリ

総数:400件


都道府県

総数:400件

伝統工芸品和歌山県

和歌山県
工芸品の分類 その他工芸品
工芸品名 棕櫚箒

主要製造地域:和歌山県




《特徴》
棕櫚箒(しゅろほうき)は名前のとおり、棕櫚の木の幹の皮を穂先の素材に使った和箒です。
数百年の歴史があるといわれる日本の伝統的な箒で、和箒の中でも棕櫚箒、特に本鬼毛箒(ほんおにけほうき)は最も耐久年数が長く、丈夫で長持ちするといわれています。
かつては京都を中心に西日本各地に職人がおり、地方ごと、職人ごとに特色のある形の棕櫚箒が生まれました。

原料の棕櫚皮の繊維は、数ある天然繊維の中でもすぐれた性質があり、細く弾力があってしなやかで、耐久性・耐荷性に優れ、水の中でも腐りにくく、古くから魚網や船具、運搬・荷造り用、建築用として、縄やロープや網などに盛んに利用されました。棕櫚箒や棕櫚タワシもこの棕櫚の特性を生かして作られており、自然素材でありながら丈夫で長持ちします。

棕櫚箒には修理しながら長く使う「本鬼毛箒(ほんおにけほうき)」「鬼毛箒(おにけほうき)」や原則修理しないで使い切る「皮箒(かわほうき)」があり、いずれも原料は棕櫚の木の皮ですが、それぞれ元々の皮自体の繊維の太さや質、使用する部位、製法や耐久性、掃き心地が異なります。

◎本鬼毛箒/修理しながら長く使える棕櫚箒
棕櫚箒の最上質品として知られてきた棕櫚繊維箒で、他の和箒と比較しても最も耐久性の高い箒。
棕櫚皮や、棕櫚皮をほぐした未選別の繊維(=タイシ)から1本ずつ手で抜き集めた鬼毛(=本鬼毛・タチケ)という名の特別耐久性があり太く美しい棕櫚繊維を主原料にして製作されます。
耐久年数の目安は15年~20年から修理をすればそれ以上使い続けることができると言われ、本鬼毛箒は「一生に3本あれば足りる」とも言われています。

◎鬼毛箒(タイシ箒)/「本鬼毛箒」に次ぐ性能・品質があり、修理しながら長く使える棕櫚箒
1本ずつ手で選別し抜き集めた鬼毛を使って作る本鬼毛箒に対して、100%未選別の太く硬い上質な棕櫚繊維(=タイシ)を使って作られる箒。
傷んだら修理が可能で、耐久年数の目安は15年~20年程といわれています。

◎皮箒/修理しないで使い切る棕櫚箒
昔から広く一般家庭の室内箒(座敷箒)として畳やフローリングに使われてきたのが皮箒です。
棕櫚の木の幹から1枚ずつ剥いた棕櫚皮をそのまま丸めて束ねて、箒の穂先になるところだけをほぐして作られます。
素朴で簡単な加工方法である皮箒は、いま作られている様々な棕櫚箒の元祖といわれています。
耐久年数は目安として並の品質の皮を使用した箒で2年~5年、上質な皮箒で10年~15年といわれています。

棕櫚箒は使ってみると使い心地が柔らかく、穂先繊維に密度と厚みがあって掃きやすいという特徴があります。また、繊維が細く、適度なコシで撫でるような掃き方をするため埃が舞い上がりにくく、細かい埃もよく集まり、静電気が発生しないので、箒穂先に絡まった埃や髪の毛も簡単に落とすことができます。
さらに畳やフローリングにやさしく、床材が傷つかないので、長年棕櫚箒と雑巾での掃除を続けると、床材の自然な艶が引き出されるといわれています。

室内箒として何年も使い古して穂先が磨り減った後は、土間や庭を掃く箒として再利用され、箒としてだめになるまで大切にとことん使われてきた箒です。

[和歌山県知事指定郷土伝統工芸品]
提供 : 棕櫚箒製作舎 様

素材 棕櫚皮、棕櫚繊維、竹、藁、糸、銅線、鋲、釘など
製法・工法 【1】棕櫚繊維の初期整形と選別
棕櫚繊維束を水で濡らし、少量ずつ毛捌き機(鉄針製の櫛が回転する専用の機械)に通し、繊維を真っ直ぐに伸ばし整えると共に短い繊維や棕櫚粉(※1)など汚れを取り除く。その棕櫚繊維を質・長さ等により選別し、既定寸法に切断し自然乾燥させる。

※1…棕櫚皮を形成する繊維1本1本の間に詰まっている天然の無害な粉

【2】柄の製作
箒の持ち手となる黒竹などを規定寸法に切り、先端に貫通した穴をあける。黒竹の余分な節などは削る。

【3】コウガイ(竹串)の製作
冬季に伐採し自然乾燥させた孟宗竹を既定寸法に切り、鉈で割り小刀で削って火で炙り竹串を作る。

【4】玉の製作
【1】の棕櫚繊維を適量重ね、芯に棕櫚繊維と少量の糯藁(もちわら※2)を入れ、銅線や糸で硬く巻き締めて小さい棕櫚の束(玉)を作る。玉の製作数は箒の種類(幅)によって異なり、棕櫚長柄箒中央の柄(持ち手)を付けた棕櫚玉を入れると、11玉長柄箒の場合は玉が11本、9玉長柄箒の場合は玉が9本、7玉長柄箒の場合は玉が7本必要になる。

※2…もち米の藁。稲藁より粘りがあり丈夫とされる。

【5】玉と柄を合わせる
バラバラに製作した玉と柄を棕櫚箒の形に組み合わせる。【4】で製作し、【2】の柄(持ち手)を付けた棕櫚の玉先端の穴に、【3】のコウガイ(竹串)を通し、そこに【4】の玉を順番に左右同数ずつ通し固定する。最後に左右に余分に出ているコウガイを切り落とし、丸鋲や釘で補強する。

【6】箒の穂(棕櫚繊維)の整形
【5】の箒先端部を水に浸した後、さらに全体を霧吹きで湿らせ、毛捌き機または鉄製の熊手を使い、棕櫚繊維を梳かし整え、本鬼毛製の仕上げブラシで磨き、箒先端を切り揃え、自然乾燥させる。

【7】仕上げ
乾燥した【6】から抜け毛や棕櫚粉など繊維クズを除去し、棕櫚繊維の毛羽があれば焼き切る。棕櫚繊維表面を霧吹きで湿らせ、再度、本鬼毛製の仕上げブラシで繊維を整え、箒先端を切り揃える。柄の先端に吊紐を取り付ける。
歴史 棕櫚箒の生産がはじまった時代ははっきり伝わっていませんが、江戸時代後期(1800年代)に登場したホウキモロコシ(イネ科/一年草)の箒よりも歴史はずっと古く、江戸時代以前から使われていたと考えられています。生活用品である箒は歴史的資料があまり残っていないものの、江戸時代の絵画にも一般的な箒として描かれているのを見ることができます。棕櫚箒は京都を中心に広まり、和歌山県野上谷地方(現在の和歌山県紀美野町周辺から有田川流域)での棕櫚箒作りは江戸時代後期には行われていたといわれています。

昭和に入り戦後になると、和歌山では野上谷が全国一の棕櫚の産地だったことが大いに関係して、町役場のある動木周辺の集落で棕櫚産業(ロープ、たわし、マット、ほうき等)が盛んになりました。棕櫚箒作りに関しても、専業とする個人商店が20軒とも30軒ともいわれるほど、その隆盛を極めました。

棕櫚箒作りの多くは小規模な家内工業で、安価な量産品から上質な箒まで各家庭で製作されており、それらは地元の問屋と行商人によって主に西日本各地へ流通していました。

ごく小さな地域で多くの職人が腕を競い合い、分業式の作り方で安価な棕櫚箒を大量生産する店もあれば、かたや、誂えものの上質な箒を専門にする職人もいて、互いに反発し時に協力して働く中で工夫に工夫を重ね、より掃きやすく、より丈夫で、見た目に美しい箒を追求して、今に続く棕櫚箒の形や意匠ができあがりました。

残念ながら和歌山県の棕櫚栽培は昭和40年前後には需要の減少のため衰退。多くの棕櫚林が杉やヒノキの植林に変わったため、国産棕櫚の良品は入手不可能となりましたが、輸入した素材を厳選し、しっかりとした技術を受け継いだ職人が制作する棕櫚箒は、その使い心地、埃をまいあげにくくしっかりゴミを集める機能性、丈夫さ、見た目の美しさなどから、現代の生活の中でも評価が高まっています。
関連URL http://shurohouki.jp

◆展示場所
【お問合せ先】
紀美野町役場 産業課
〒640-1131
和歌山県海草郡紀美野町動木287番地
電話番号:073-489-2430
開庁時間: 8時30分~17時15分