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NPO法人日本伝統文化振興機構は、日本の伝統文化の継承・創造・発展のための活動を行っております。
伝統工芸館 カテゴリ

総数:400件


都道府県

総数:400件

伝統工芸品福島県

福島県
工芸品の分類 木工品
工芸品名 三春駒

主要製造地域:福島県




《特徴》
デコ屋敷は「三春駒」「三春張子」など三春の民芸品全ての発祥地です。(デコとは木彫りの人形のことで木偶(デク)の別な読み方)
元々は、ほとんどダルマばかり作っていたので、ダルマ屋敷と呼ばれていました。江戸時代からの伝統工芸の里で、数百年の伝統を守っています。

もともと「三春駒」の本当の名前は「高柴木馬(きんま)」と呼んでいました。江戸時代に書かれた書物には、一切「三春駒」という名は使われていませんでした。 「三春駒」というのは、実は本物の馬につけた名前なのです。江戸時代三春藩領は貧しい藩でしたが、唯一 野生の馬がたくさんいたため、その野生の馬を良い馬に改良し、藩の産業にしていました。その本物の馬につけていた名前が「三春駒」でした。 しかし、時代とともに野生の馬がいなくなり、高柴でつくられていた「高柴木馬・高柴子育木馬」がいつの間にか「三春駒」と呼ばれるようになったと伝えられています。

「三春駒」の特徴は、すべて直線で造られていて美しい上品な完成された紋様にあることです。日本三大駒の一つである三春駒の黒駒は、子宝・安産・子育てのお守りとして作られ、白駒は老後安泰・長寿のお守りとして作られています。

黒い三春駒は昭和29年、郷土玩具として日本で最初の年賀切手に採用され、全国的に有名になりました。

[ 福島県指定伝統的工芸品 ]
提供 : 三春町役場 産業課商工観光課グループ 様

素材 朴(ほお)の木、ニカワなど
製法・工法 【三春駒 製法】
1本の朴(ほお)の木の角材から2匹の「三春駒」を制作します。
1個の角材に鋸(のこぎり)で切れ目を入れ、頭あわせの2個組を作り、後頭部にあたる中心にノミをいれて割り、形を整え仕上げています。
全面に彩色をほどこし、さらにニカワを塗ってツヤを出し、模様を描き、麻のたてがみと尾を植えて出来上がりです。
歴史 デコ屋敷で生まれた三春駒(高柴木馬・高柴子育木馬)の伝説は古く、延暦14(795)年坂上田村麻呂が、大多鬼根山(大滝根山)の石の洞窟に住む大多鬼丸という賊の征伐に京都を出発した際に、京都清水寺の開祖と言われる僧 延鎮が、5体の仏像を刻んだ残りの材で鞍馬100匹を刻み、田村麻呂将軍に贈ったとされています。
将軍はこれを鎧櫃(よろいびつ)におさめ征夷の途にのぼり、やがて戦いは開始されたが、官兵は京都よりの遠路に疲れていたので苦戦でありました。
その時どこからか、鞍馬100匹が官兵の陣営に走り込んで来たので、兵達はその馬に乗って大多鬼根山へ攻め登り、ようやく大多鬼丸を滅ぼすことが出来たのです。ところがその後、鞍馬100匹の行方がわからなくなってしまいました。

翌日、一匹の木馬が三春近くの高柴村で汗にまみれているのを里の人が拾い、これは延鎮の作った100匹の木馬の一つであると聞き、99匹を自分で作って補いました。3年後には、この拾った一匹も行方がわからなくなったので、残りの99匹を模作したものを、里の子供に与えたところ、これで遊ぶ子供は健やかに育ち、子の無い者も3粒の大豆を飼葉(かいば : 馬などに与える餌)として木馬に与えると、子宝に恵まれるといわれ、また、疱瘡(ほうそう)・麻疹(はしか)も軽くなるといって、誰というとなく「高柴木馬・高柴子育て木馬」と呼ぶようになったと伝えられています。

三春藩はもともと野生の馬が多く生息していて、藩を豊かにするための産業として馬を改良し多くの良馬を生み出しました。その良馬は三春駒(三春馬)と呼ばれ、全国へ広がりました。そのため人々は馬育成の祈りのため、神社や馬頭観音(頭が馬、もしくは馬飾りをつけた六観音の一人)に絵馬や高柴で作られた木馬を刻んで奉納するようになり、また子供の玩具に用いたりしました。それが次第に坂上田村麻呂の伝説に結びつき、高柴子育木馬の由来になったのではないかと言われています。

◆展示場所
詳しいお問合せは…
三春町役場 産業課商工観光課グループ
〒963-7796 福島県田村郡三春町字大町1-2
TEL : 0247-62-3960 / FAX : 0247-62-3300

◆イベント開催
デコ屋敷 彦治民芸
 見学・体験が可能です。
 体験の詳細はこちら
 〒963-0902 福島県郡山市西田町高柴字舘野80-1
 TEL : 024-972-2412 / FAX : 024-972-2314
 営業時間 : 9:00~17:00
 定休日 : 木曜日(年末年始、GWは営業)