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NPO法人日本伝統文化振興機構は、日本の伝統文化の継承・創造・発展のための活動を行っております。
伝統工芸館 カテゴリ

総数:400件


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総数:400件

伝統工芸品熊本県

熊本県
工芸品の分類 金工品
工芸品名 肥後鍔

主要製造地域:熊本県




《特徴》
肥後鐔(ひごつば)とは熊本及び八代を中心として作られた刀の鐔です。
鐔とは、刀剣の柄と刀身との間に挟んで、相手の刃から自分の手を守るために重要な金具です。この肥後鐔の地鉄の美しさと透彫と象嵌を駆使したデザインは、全国的にも人気が高く、芸術的で高度な鑑賞価値を持ちます。

肥後の金工師は、林、平田、西垣、志水という四流派が中心で、鐔をはじめ、縁頭(ふちがしら)や目貫(めぬき)など刀装具の金工品をすべて手がけています。

林派の初代又七は尾張(愛知県西部)出身の鉄砲鍛冶。はじめ加藤清正に仕え、加藤家改易の後は細川家に仕えました。尾張透鐔(おわりすかしつば)の影響を受け、京都・正阿弥の象嵌技術を習得し、鉄色が良く精緻な透彫と布目象嵌を特徴とした作品を多く手がけています。

平田家初代の彦三は、寛永九年(1632年)、細川家の肥後入国以来、三斎が小倉から連れてきた職人とともに八代に移り住みました。鐔の素材に真鍮や銅を使い、覆輪をめぐらせるのが最大の特徴です。

西垣家初代の勘四郎は、平田彦三に入門してはじめ八代に住みますが、独立して熊本職人町に移り活躍しました。西垣派は、巧みな技を駆使して繊細優美な表現を得意としました。

志水家初代の仁兵衛は、平田彦三の甥で、彦三没後は八代袋町の屋敷を譲り受け、八代に住んで代々「甚吾」を名乗り、鉄地に真鍮で作った猛禽や龍などを大胆に据文象嵌した豪快な鐔が多く見られます。

肥後鐔は、四派の金工師を中心に、他にも多くの門下が存在します。相互に影響を受けながら切磋琢磨したものと考えられ、題材や技法は流派をこえて共通するものが多く見られます。

江戸時代には「刀は備前、鐔は肥後」と言われていたほど、サムライの世界ではブランドだった肥後鐔。熊本・八代が世界へ誇る芸術です。

[ 熊本県指定伝統的工芸品 ]
提供 : 八代市立博物館 未来の森ミュージアム 様

素材 玉鋼、和鉄など
製法・工法 【1】 鍛錬
日本刀と同じ鋼材(はがねざい)を折り返し鍛錬します。

【2】 図案書き
鉄の色沢を増した鉄材に、図案を描きます。

【3】 彫り
タガネその他の小工具で、図柄の通り彫り、透かし仕上げます。
歴史 肥後鐔は熊本及び八代を中心として製作された、寛永時代以来の刀の鍔及び金工のことです。

代表的な作家として、肥後金工師には四主流があり、熊本にいた林又七、八代の平田彦三、その甥の志水仁兵衛、その弟子の西垣勘四郎の四人が始祖と伝えられています。

そして何と言っても、彼ら四流派を指導した戦国大名・細川三斎による影響は大きい。
三斎は千利休高弟七哲の一人といわれ、当時の日本において茶道具と武具の両方がわかる超一流の文化人でした。この三斎なくして肥後鐔は語れないと言っても過言ではありません。彼の美学があったからこそ、肥後鐔は当時「鍔は肥後」と言われるほどのブランドになったのです。

千利休、古田織部、ガラシャとの悲しい別れを乗り越え、辿り着いた熊本で、芸術の集大成として情熱を燃やしたものが肥後鐔なのです。三斎にとって肥後鐔は「武士の美」であり、「利休美学の結晶」であり、同時に日本を代表する伝統的なグラフィックデザインと言えます。

◆展示場所
八代市立博物館 未来の森ミュージアム
 〒866-0863 熊本県八代市西松江城町12-35
 TEL : 0965-34-5555 / FAX : 0965-33-9200
 開館時間 : 9:00~17:00 (入館は16:30まで)
 休館日  : 月曜(祝日の場合翌日)、年末年始(12/29~1/3)、その他臨時休館あり
 入館料  : 大人 310円(240円)、高大生 200円(160円) 
 ※特別展開催時はその都度定めます
 ※(  )は20名以上の団体料金
 ※中学生以下の入館は無料です