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NPO法人日本伝統文化振興機構は、日本の伝統文化の継承・創造・発展のための活動を行っております。
伝統工芸館 カテゴリ

総数:400件


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総数:400件

伝統工芸品神奈川県

神奈川県
工芸品の分類 木工品
工芸品名 横浜クラシック家具

主要製造地域:神奈川県




《特徴》
幕末、多くの欧米人が来日し、日本国内に住居を構えて居留するようになりました。
彼らの生活様式にふさわしい洋家具が東洋の島国、日本でも必要となったのです。
1863年(文久3年)英国人ゴールマンが家具職人・原安造に椅子の修理を依頼することから横浜での洋家具製造技術がスタートし、日本独自の横浜家具・横浜クラシック家具が誕生したのです。

幕末から横浜に進出し、幕府関係の建築工事を請け負っていた清水喜助が、アメリカ人建築家・ブリジェンスと組んで、慶応4年に西洋式のホテル、築地ホテル館を施工させますが、ここで使用した洋家具は、設備品以外、すべて横浜製であったことから短期間のうちにかなりの進歩があったことがうかがえ、横浜の職人技術の大成はその後の日本の洋家具製造技術に大きな役割を果たしました。

事実、横浜で技術を習得した職人達が東京をはじめ全国各地に散らばっていき、椅子張りの技術を日本に定着させていたったのです。

現在はその伝統や歴史を充分にふまえた上で、次の世代を継承すべく新しい時代の生活文化を先取りしていきながら、新たな横浜クラシック家具にたゆまぬ挑戦を続けています。

現代が求めるニーズをテーマに、華美な装飾をさけたシンプルさと、無垢だけが持つ独特な素材感や経年変化の味わい、表面の凸凹や節が引き出す、木の癒しや温もりを大切に、クラシックとコンテンポラリーの双方の空間にコーディネートできる、普遍的なデザインブランドも立ち上げられています。

[神奈川県指定伝統工芸品]
提供 : 協業組合ヨコハマクラシック家具グループ 様

素材 ナラ材、ケヤキ材、ウォールナット材、タモ、ニレ、チークなど
製法・工法 【1】 伐採
伐採と聞くと、山や森を切り刻んでいるかのように聞こえますが、、山や森を成長させるために間伐された木が主な主材です。熟練職人がヨコハマクラシック家具の材料としてふさわしい銘木を様々な木の性質と個性を見極めながら厳選します。

【2】 製材
木目や木の状態を確認した後に丸太を製材します。この製材には木の性質を知り尽くした職人の経験と勘が最も必要とされる工程です。

【3】 乾燥
製材後は約1年間かけて、木と木の間に桟板を挟み風通しの良い状態で積み上げて、ゆっくりと工房内で自然乾燥させます。
その後に100年使用する家具になるよう、室内環境の変化に対応できるよう人口乾燥機で乾燥させた後に、シーズニングという生活環境に適応するよう木の含水率を安定させるためだけに作った部屋に桟積みし、半年間管理を徹底して保管します。

【4】 木取り
乾燥を終えた木材は、木目の流れや節の状態、その個々に持った木の特性を読みながら製作される家具のパーツごとに割り当てしていきます。
木目の最も美しい木材は主たるテーブルの天板や表面の面材として使用されます。
その後脚のパーツ構造体のパーツとそれぞれの木材の適材適所を見極めていき、余すことなく木取り(パーツどり)していきます。
これらの作業を経た後、ようやく家具づくりが始まるのです。
歴史 黒船来航後の1859年(安政5年)、横浜港が開港すると、輸出品目の第一の生糸はここから出荷されていきました。
その後、外国貿易の拠点となった横浜では、日本の絹を購入するようになった欧米からの買い付けで日本国内の生糸の生産は間に合わないほどでした。

その頃から、多くの欧米人が来日、日本国内に住居を構え暮らすようになり、彼らの生活様式に合った洋家具が東洋の島国、日本でも必要となりました。

横浜にて洋家具製造技術がスタートし、日本独自の横浜家具・横浜クラシック家具が誕生したのです。
その後は居留する外国人に愛用されるとともに、帰国する人々にその技術と質の高さから海外に持ち出され、世界でも高い評価を得るまでにいたりました。

その後横浜クラシック家具は、戦中・戦後の戦災と大震災等の震災を受け、質の低下と技術者の後継者不足から衰退の一途をたどりましたが、
富沢市五郎(府立東京高等工芸学校教授で三光家具の経営者兼デザイナー)の手によって再興され、その質を模倣のモノから創作レベルへと改善されました。
関連URL http://www.classic-kagu.jp/index.html