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NPO法人日本伝統文化振興機構は、日本の伝統文化の継承・創造・発展のための活動を行っております。
伝統工芸館 カテゴリ

総数:401件


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総数:401件

伝統工芸品岐阜県

岐阜県
工芸品の分類 漆器
工芸品名 飛騨春慶

主要製造地域:岐阜県




《特徴》
飛騨春慶塗は岐阜県の古都 高山市で作られ続けている、塗り物です。
素材として主に木材の王者といわれる木曽ヒノキで作り、生地に黒や朱といった色漆を使わず、また蒔絵や沈金といった絵付けを一切せず、透漆をかけ琥珀色や鼈甲色といった透明感のある色味に塗り上げ、天然の木目の美しさをそのまま生かしている点が大きな特徴です。
いくつもの作業工程を要し、木地職人と塗り職人の異なる「飛騨の匠」の経験と伝統の技により完成されます。
また、時間の経過と共に木目がより浮き出て、独特の味わいが深まります。経年による風合の変化も飛騨春慶の大きな魅力のひとつ。

簡素かつ素朴でありながらも、優雅で艶やかなその美しさと存在感は、古くから多くの茶人たちに魅了されてきました。

初期のものには、膳や盆などが多く、江戸末期から明治初期では、重箱などの角ものや、茶道の水指し、水つぎなどの曲物が出現し、線と円とで立体的な美しさを満喫させてくれる作品が生まれるようになりました。

昭和50年には、国(通商産業省)の伝統的工芸品に指定されました。

[ 国指定伝統的工芸品(経済産業大臣指定) ]
提供 : 飛騨春慶連合協同組合 様

素材 木材各種、漆など
製法・工法 飛騨春慶の製作工法は板物・曲物・挽物に大きく三つに分類されます。
工程紹介として、板物の重箱を例に挙げて説明いたします。

1. 木地の工程
【1】 原木
よく吟味した、天然檜などの材を使用します。 (樹齢200年以上のもの)

【2】 製材
製材所で厚み4cmぐらいの板に挽きます。

【3】 天然乾燥
木材には年月と共に変形する性質があるため、サン(算木)積し、通気性をよくして数年間乾燥させます。

【4】 木取り・小割り
一枚の板で何を取るか決めます。

【5】 荒削り
悪い部分(フシや腐り)を切り落とします。

【6】 乾燥
材を薄くしたところでサン(算木)積して空気を通わせ、さらに乾燥させます。

【7】 仕上げ鉋
鉋で表面を削っていきます。

【8】 曲げ
一枚の板で角を丸く曲げていきます。この工程ではあらかじめ定められた寸法に切り目を入れ、お湯に浸します。お湯に浸すと木が柔らかくなり、曲げることができるのです。

【9】 接着
継ぎ手にニカワを塗ったら、継ぎ目に隙間ができないよう「ツカミ」と言われる道具で、きっちりと押さえ、ニカワが乾くのを待ちます。

【10】 カンパ刺し
山桜の皮の傷のない箇所を切り出し、一定の幅に削り合わせ、薄くへぎ取った物を「桜カンパ」と言います。ニカワで接着した箇所に桜カンパで刺していきます。桜カンパは強く締めて水をつけておくと、とじ穴がしまって取れなくなります。

【11】 木釘打ち
曲げの縁に天板や底板を数十本の木の釘で打ち止めます。目に見えない所にもこんな手間がかけられているのです。

2. 塗りの工程
【1】 木地磨き
木地の角を紙ヤスリで磨き、わずかな丸みをつけます。

【2】 目止め
トノコ(目の細かい粘土)を水練りして塗り布でふきとる作業。漆の塗むらを防ぎ、着色時、色がなじむようにします。

【3】 着色および下塗り
色つけには、黄および紅の染料を用います。大豆しぼり汁または、ガゼインを数回塗り、漆が急に木地にしみ込まないようにします。

【4】 仕上げ磨き
下地の表面を紙ヤスリで磨き、滑らかにします。

【5】 摺り漆
生漆に油(えごま)をまぜたものを木地に摺り込み、綿でふき取り漆を染込ませます。摺り漆を数回繰り返すことで、木目の浮かび具合が違ってきます。

【6】 コクソ巻き
木地のすき間を、漆とトノコを練り上げたもので埋めます。

【7】 摺り漆
再び、摺り漆をします。

【8】 上塗り
各職人によって上塗り漆(くろめ漆)を自分に合うように精製します。また、道具は自分が使いやすいよう調整したり、作ったりします。ほこりがかからないよう、漆にむらの無いよう、注意しながら作業を進めます。

【9】 乾燥
「ふろ」という大きな戸棚のような乾燥室の中に入れ、適度な温度・湿度の中で「塗りだれ」を防ぐため、数分ごとに反回転しながら十分乾燥させます。
歴史 飛騨は元々、古来より木材資源が豊かな国であり、伐採・運材・木挽・大工などの木材を扱う技術に優れていました。

春慶塗は400年ほど前の江戸時代初期の慶長年間に、当時の高山城主 重頼の長兄、金森重近公(後の金森宗和)の時代、木匠の高橋喜左衛門と塗師である成田三右衛門によって蛤形の盆が作られ、重近公に献上されたのがはじまりであると言われています。

微妙な光と影がおりなす艶、妖しいまでに美しい繊細な色調に魅せられた重近公は、茶道の名器「飛春慶」にあやかり「飛騨春慶」と命名したと伝えられています。

「春慶塗」は茶器が主でしたが、江戸時代半ば頃から、庶民も手にするようになりました。
そのため重箱や盆など一般生活用品が多く作られ、明治時代中期になると問屋が現れ、今のような流通が形つくられ、販売も拡大しました。

さらに大正・昭和時代になると、職人の数も増え、互いに技を競い、産業としての基盤が確立されていきました。