総数:401件
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主要製造地域:福岡県 |
《特徴》
今から約760年前、一人の僧と若い博多商人、満田弥三右衛門が宋へ旅立ち、織物の技法を習得、帰国して代々受け継がれたのが始まりです。
さらにその250年後、弥三右衛門の子孫、彦三郎が再び明へと渡り、織物の技法を研究。
帰国後は工法の改良を重ね、琥珀織のように生地が厚く、浮線紋や柳条などの模様の浮でた厚地の織物を作り出したのです。
そしてその織物が作られたこの土地、博多の地名から「覇家台織はかたおり」と名づけられたと伝えられています。
[ 国指定伝統的工芸品(経済産業大臣指定) ]
提供 : 博多織協同組合 様
今から約760年前、一人の僧と若い博多商人、満田弥三右衛門が宋へ旅立ち、織物の技法を習得、帰国して代々受け継がれたのが始まりです。
さらにその250年後、弥三右衛門の子孫、彦三郎が再び明へと渡り、織物の技法を研究。
帰国後は工法の改良を重ね、琥珀織のように生地が厚く、浮線紋や柳条などの模様の浮でた厚地の織物を作り出したのです。
そしてその織物が作られたこの土地、博多の地名から「覇家台織はかたおり」と名づけられたと伝えられています。
[ 国指定伝統的工芸品(経済産業大臣指定) ]
提供 : 博多織協同組合 様
素材 | 絹 |
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製法・工法 | 今では、「力織機(りきしょっき)」(電気で動く織物の機械)と「手機(てばた)」とありますが、現在では、手機の職人が少なくなり、力織機が大部分となりました。
戦後から次第に機械化が進み、現在では、力織機が657台、手機が62台が動いています。 働いているのは、男性が158名、女性が471名で、博多織の産地で働いています。 その他に、染色関係で15名、博多織元卸し関係で60名、生糸納入関係で15名、またデザイナーや意匠(いしょう)を担当する人も30名くらいいます。 作り方ですが ・デザインをする人 ・意匠をする人 ・経糸(たていと)や緯糸(よこいと)を準備する人 ・糸を染める人 ・機械に糸を取り付ける人 ・織物を織る人 ・仕上げをする人 こうした人たちの手で、博多織が出来上がります。 |
歴史 | 博多織の、歴史は大変古く。
日本地図を、見ていただくとわかると思いますが、福岡(博多)は、中国大陸と近く、昔から外国との交流が盛んな所でした。織物の技術も、中国から入ってきましたが、その織物の技術に、工夫・改良し、現在の博多織が出来上がったのです。 1202年(鎌倉時代)に、博多の商人として生まれた「満田弥三右衛門(みつだ やざえもん)」という人が、1235年に、博多の偉いお坊さんの「聖一国師(しょういちこくし)」という人と、一緒に中国(当時は「宋(そう)」と言ってました)に渡りました。 二人は6年間一生懸命に勉強をしました。 「聖一国師」は、仏教の勉強をしました。 「満田弥三右衛門」はまんじゅうの作り方や、お薬の作り方、うどんやそばの作り方、焼き物の技術の他に、織物の技術を習って、1241年に帰ってきました。 「聖一国師」は、博多に「承天寺(じょうてんじ)」を建てました。 「弥三右衛門」はまんじゅう、お薬、うどん、そば、焼き物、の技術は人々に教えますが、織物の技術は家伝とし、更に工夫・改良をしていきます。 そうして出来上がった織物に、地名をつけて「博多織(はかたおり)」と名づけました。 |
関連URL | https://hakataori.or.jp/ |
◆展示場所
博多織工業組合
〒812-0016 福岡市博多区博多駅南1-14-12
TEL : 092-472-0761 / FAX : 092-472-1254