|
《特徴》
近江中山の芋競べ祭りは、中山集落が東と西にわかれて里芋の長さを競べる神事です。
野神山の祭場で古式にのっとった儀式が行われ、最後に芋競べが行われます。西が勝てば豊作、東が勝てば不作と言い伝えられており、古くは旧暦の8月行事とされていましたが、昭和46年以降に現行のように9月1日に行われるものとして定着しました。
神事で用いられるのは里芋の一種でトウノイモという芋(本稿では里芋と表記する)で、根本から葉先までの長さを儀礼的に競い合うことで豊作を祈りました。
お祭りには、「山若(やまわか)」「山子(やまこ)」「宮座(みやざ)」「勝手(かって)」の4役が関わって進行されます。
裃を着ている16歳以上の青年を「山若」と呼び、東西から各7名で14名が選ばれます。この日の祭儀の一切を執り行う役です。「山子」は絣の着物を着て祭りに参列する8歳から14歳までの子供達のことです。野神山の祭場を作るという、重要な役割があります。「宮座」はかつて「山若」であった村の長老13人が務めます。「おとな」とも呼ばれ、祭儀の元老のような位置をしめます。「勝手」は山若を上がった人から選ばれ、紋付の羽織袴を身に付けています。神事が進むにつれて必要な品々を祭場へ繰り出すという役です。
祭り当日の9月1日、この日は前日から選ばれていた芋を早朝から東西それぞれで収穫し、神事に備えた飾り付けが行われます。
午後1時、太鼓の合図と共にそれぞれの集落から山子が孟宗竹に飾り付けられた里芋を担いで熊野神社へ参内します。詣でた後は、社務所で三三九度の盃が行われた後にまた芋を担いで祭場へと移動します。この移動の際も、東と西で別れて決められた道を通るのです。
祭場は8月下旬から山子たちによって作られており、敷石が並べられています。山若と山子が所定の位置につくと、いよいよ神事が始まります。このとき一番尉(山若の一番の年長者)は神の代役を務めます。
芋の供進、神の膳を奉る、山若と山子に膳をだすなどの儀式が行われ、それぞれの行為のあいだには神を拝する所作が入ります。神に供えられるものは【餅・をり・せんば・ぶど・かもうり・ささげ】で、山若たちにも同様のものが出されます。この膳が下げられると、次に行わるのが神の角力。東西の山子が組み、三番尉が行司役となって行われます。
いよいよ最後に行われるのが、「芋競べ」です。
二番尉が進行役を務め、三番尉が定尺(芋を測るためのものさし)を持ち芋の長さを測ります。この行為を、「芋を打つ」と、言います。このとき、酔っ払ったような千鳥足の動作で、芋の長さを測っていきます。双方が打ち終わると、測った結果を述べるのですが、お互い自分たちの方が長いと主張し勝敗は決まりません。再び芋を打ち、互いが長さを主張するということが繰り返されるのです。
ついに勝敗が決まるときには東西勝った側から発声が行われ、負けた側は自分たちの芋が短かったことを告げます。この間、周囲で見守る見物人らは独特な言い回しに耳をすませて東西の報告を聞きます。最後は、東西で芋が取り替えられ神を拝し山を下ります。
[国指定重要無形民俗文化財]
提供:滋賀文化のススメ 様
近江中山の芋競べ祭りは、中山集落が東と西にわかれて里芋の長さを競べる神事です。
野神山の祭場で古式にのっとった儀式が行われ、最後に芋競べが行われます。西が勝てば豊作、東が勝てば不作と言い伝えられており、古くは旧暦の8月行事とされていましたが、昭和46年以降に現行のように9月1日に行われるものとして定着しました。
神事で用いられるのは里芋の一種でトウノイモという芋(本稿では里芋と表記する)で、根本から葉先までの長さを儀礼的に競い合うことで豊作を祈りました。
お祭りには、「山若(やまわか)」「山子(やまこ)」「宮座(みやざ)」「勝手(かって)」の4役が関わって進行されます。
裃を着ている16歳以上の青年を「山若」と呼び、東西から各7名で14名が選ばれます。この日の祭儀の一切を執り行う役です。「山子」は絣の着物を着て祭りに参列する8歳から14歳までの子供達のことです。野神山の祭場を作るという、重要な役割があります。「宮座」はかつて「山若」であった村の長老13人が務めます。「おとな」とも呼ばれ、祭儀の元老のような位置をしめます。「勝手」は山若を上がった人から選ばれ、紋付の羽織袴を身に付けています。神事が進むにつれて必要な品々を祭場へ繰り出すという役です。
祭り当日の9月1日、この日は前日から選ばれていた芋を早朝から東西それぞれで収穫し、神事に備えた飾り付けが行われます。
午後1時、太鼓の合図と共にそれぞれの集落から山子が孟宗竹に飾り付けられた里芋を担いで熊野神社へ参内します。詣でた後は、社務所で三三九度の盃が行われた後にまた芋を担いで祭場へと移動します。この移動の際も、東と西で別れて決められた道を通るのです。
祭場は8月下旬から山子たちによって作られており、敷石が並べられています。山若と山子が所定の位置につくと、いよいよ神事が始まります。このとき一番尉(山若の一番の年長者)は神の代役を務めます。
芋の供進、神の膳を奉る、山若と山子に膳をだすなどの儀式が行われ、それぞれの行為のあいだには神を拝する所作が入ります。神に供えられるものは【餅・をり・せんば・ぶど・かもうり・ささげ】で、山若たちにも同様のものが出されます。この膳が下げられると、次に行わるのが神の角力。東西の山子が組み、三番尉が行司役となって行われます。
いよいよ最後に行われるのが、「芋競べ」です。
二番尉が進行役を務め、三番尉が定尺(芋を測るためのものさし)を持ち芋の長さを測ります。この行為を、「芋を打つ」と、言います。このとき、酔っ払ったような千鳥足の動作で、芋の長さを測っていきます。双方が打ち終わると、測った結果を述べるのですが、お互い自分たちの方が長いと主張し勝敗は決まりません。再び芋を打ち、互いが長さを主張するということが繰り返されるのです。
ついに勝敗が決まるときには東西勝った側から発声が行われ、負けた側は自分たちの芋が短かったことを告げます。この間、周囲で見守る見物人らは独特な言い回しに耳をすませて東西の報告を聞きます。最後は、東西で芋が取り替えられ神を拝し山を下ります。
[国指定重要無形民俗文化財]
提供:滋賀文化のススメ 様
所在地 | 滋賀県蒲生郡日野町中山1931 |
---|---|
展示場&開催場所 | 滋賀県蒲生郡日野町中山 熊野神社
日時:毎年9月1日 |
問い合わせ先 | 日野観光協会
Tel 0748-52-6577 |
観るポイント | 「東の芋より西の芋は、1丈も2丈も3、4丈も5、6丈も長う打ちましてござる」など、長さを告げるための独特な言い回しは必見です。他では見ることができない天下の奇祭と言われる祭りです。800年以上続いてきたとされる伝統の行事は親から子へと代々受け継がれています。 |
伝統文化の 体験・一般参加 |
「近江中山の芋競べ祭り」の様子を見学いただけます。
場所:滋賀県蒲生郡日野町中山 熊野神社 日時:毎年9月1日 |