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《特徴》
阿波の人形浄瑠璃がいつから始まったのかは明らかではありません。しかし淡路人形芝居が隆盛したことにより、淡路の人形戯を阿波の百姓たちが習得し、阿波の人形芝居が起こることになります。さらに藩主蜂須賀家の庇護を受けて発展を遂げていきました。歴代藩主は、祝事のある度、上村源之丞座または市村六之丞に操り芝居の興行を命じました。初代藩主が三代目源之丞に対し俸役三本(十五人分の労役)の免赦したのをはじめ、七代目源之丞は城内での上演を仰せ付けられ、七年間他国での出稼ぎを差しとめられるなど、蜂須賀家との関わりを示す記録が『蜂須賀文書』等の資料に残っています。
淡路の人形座は江戸中期に四十あまりあったと記されています。阿波の人形座は残念ながら、藩政期の記録がなく、享保年間の人形師といわれる駒蔵作と伝えられる人形が現在十個残っていることから、淡路の四十座と比べて遜色のない数の人形座が存在したのではと推測されます。文化五年(一八〇八)から安政二年(一八五五)までの文献『元木文書』には阿波人形芝居の記録が詳しく記されており、人形座の興行が県下一円で広く行われていたこと、評判の芝居や、世の中の景気に応じた興行の成功・失敗などを知ることができます。玄人といわれる淡路の座は年中村から村へ旅を続け、子供浄瑠璃もあり、小屋掛けやお寺の境内で興行が行われました。一興行は十六日が主体。徳島の稲荷座では二十五日連続という長い興行の記録があります。一日の興行時間は午前九時半頃から午後五時までが多く、通しで七時間程度が普通でした。「忠臣蔵」のような作は九時間でした。阿波人形座を調べる唯一の史料としては明治二十年ごろの天狗久の注文帖があります。「天狗屋久吉芸談」(久米惣七)によると、七十四の座と所在地、代表者氏名が記されています。おそらくこのころが阿波人形浄瑠璃の最盛期と思われます。注目される言葉として「阿波の人形座はほとんど素人座でござりました。全通しのお芝居は致しません。たまに池田、昼間、加茂あたりの人形座には淡路の玄人を加えて上演することもありました」「太夫は昔から淡路には少なく、阿波の太夫が多いと聞いております。三味線弾きは大部分が淡路の人が多かったようでござります」があります。
大正中期の活動写真、幻灯、のぞきからくり、昭和期の映画、漫才、落語などの登場により、人形浄瑠璃は衰退の一途をたどります。さらに戦争により、多くの座は解散へと追いやられました。しかし戦後、昭和二十一年に阿波人形浄瑠璃振興会が結成され、県下の太夫、三味線、人形座、人形師が結集。伝統ある「阿波の人形浄瑠璃』が復活しました。当時の座は十座を数えました。さらに昭和二十四年には鳴門市の鳴門源之丞座が、旧赤坂離宮において皇后陛下らの台覧を得ました。昭和二十五年八月には、県下浄瑠璃大会が十五日間に渡って開催されました。その後一時の中断はあったものの、昭和五十年以降毎年開催され、県民はもとより広く浄瑠璃愛好家に親しまれています。また多くの若い後継者も育ち、阿波人形浄瑠璃を支えています。
【阿波の人形師】
現在人形浄瑠璃に使用されている頭のほとんどは、阿波に関係ある人形師の作品であると言われるほど、阿波から多くの優れた人形師が生まれています。阿波で最初の人形師は江戸時代に活躍した駒蔵が定説。娯楽性の強い文楽に対して、阿波や淡路の人形芝居は宗教的な面がまさっています。興行は神社の祭礼やお寺の行事に合わせて野掛け小屋で行うことが多く、箱廻しや恵比須廻しの門付が盛んであり、それが人形頭の製作にも影響しています。阿波の人形作りが淡路を凌駕し始めたのは天保年間(1830~44)以降のことですが、型は淡路の人形と全く同じでした。明治の初め天狗久によって頭の大型化が図られ、地方巡業する人形座に歓迎されたため、全国的にも有名になりました。しかし大きな頭は重く、さらに従来12頭身であった人形が6頭身になり、グロテスクな感を与えました。また細かい感情の表現が難しい等の理由で、文楽系の人形座ではあまり使用されませんでした。
【木偶人形の見方】
木偶人形の要点は頭です。手足や衣装は頭に合わせたものなのです。人形頭は本来静止した状態で鑑賞するものではなく、上演の姿を見るものです。上演ともなれば、頭は役柄や性格を明確に示す必要があります。そのために頭の表情は、どうしても大げさで極端になってきます。
[国指定重要無形民俗文化財]
提供:徳島県立阿波十郎兵衛屋敷 様
阿波の人形浄瑠璃がいつから始まったのかは明らかではありません。しかし淡路人形芝居が隆盛したことにより、淡路の人形戯を阿波の百姓たちが習得し、阿波の人形芝居が起こることになります。さらに藩主蜂須賀家の庇護を受けて発展を遂げていきました。歴代藩主は、祝事のある度、上村源之丞座または市村六之丞に操り芝居の興行を命じました。初代藩主が三代目源之丞に対し俸役三本(十五人分の労役)の免赦したのをはじめ、七代目源之丞は城内での上演を仰せ付けられ、七年間他国での出稼ぎを差しとめられるなど、蜂須賀家との関わりを示す記録が『蜂須賀文書』等の資料に残っています。
淡路の人形座は江戸中期に四十あまりあったと記されています。阿波の人形座は残念ながら、藩政期の記録がなく、享保年間の人形師といわれる駒蔵作と伝えられる人形が現在十個残っていることから、淡路の四十座と比べて遜色のない数の人形座が存在したのではと推測されます。文化五年(一八〇八)から安政二年(一八五五)までの文献『元木文書』には阿波人形芝居の記録が詳しく記されており、人形座の興行が県下一円で広く行われていたこと、評判の芝居や、世の中の景気に応じた興行の成功・失敗などを知ることができます。玄人といわれる淡路の座は年中村から村へ旅を続け、子供浄瑠璃もあり、小屋掛けやお寺の境内で興行が行われました。一興行は十六日が主体。徳島の稲荷座では二十五日連続という長い興行の記録があります。一日の興行時間は午前九時半頃から午後五時までが多く、通しで七時間程度が普通でした。「忠臣蔵」のような作は九時間でした。阿波人形座を調べる唯一の史料としては明治二十年ごろの天狗久の注文帖があります。「天狗屋久吉芸談」(久米惣七)によると、七十四の座と所在地、代表者氏名が記されています。おそらくこのころが阿波人形浄瑠璃の最盛期と思われます。注目される言葉として「阿波の人形座はほとんど素人座でござりました。全通しのお芝居は致しません。たまに池田、昼間、加茂あたりの人形座には淡路の玄人を加えて上演することもありました」「太夫は昔から淡路には少なく、阿波の太夫が多いと聞いております。三味線弾きは大部分が淡路の人が多かったようでござります」があります。
大正中期の活動写真、幻灯、のぞきからくり、昭和期の映画、漫才、落語などの登場により、人形浄瑠璃は衰退の一途をたどります。さらに戦争により、多くの座は解散へと追いやられました。しかし戦後、昭和二十一年に阿波人形浄瑠璃振興会が結成され、県下の太夫、三味線、人形座、人形師が結集。伝統ある「阿波の人形浄瑠璃』が復活しました。当時の座は十座を数えました。さらに昭和二十四年には鳴門市の鳴門源之丞座が、旧赤坂離宮において皇后陛下らの台覧を得ました。昭和二十五年八月には、県下浄瑠璃大会が十五日間に渡って開催されました。その後一時の中断はあったものの、昭和五十年以降毎年開催され、県民はもとより広く浄瑠璃愛好家に親しまれています。また多くの若い後継者も育ち、阿波人形浄瑠璃を支えています。
【阿波の人形師】
現在人形浄瑠璃に使用されている頭のほとんどは、阿波に関係ある人形師の作品であると言われるほど、阿波から多くの優れた人形師が生まれています。阿波で最初の人形師は江戸時代に活躍した駒蔵が定説。娯楽性の強い文楽に対して、阿波や淡路の人形芝居は宗教的な面がまさっています。興行は神社の祭礼やお寺の行事に合わせて野掛け小屋で行うことが多く、箱廻しや恵比須廻しの門付が盛んであり、それが人形頭の製作にも影響しています。阿波の人形作りが淡路を凌駕し始めたのは天保年間(1830~44)以降のことですが、型は淡路の人形と全く同じでした。明治の初め天狗久によって頭の大型化が図られ、地方巡業する人形座に歓迎されたため、全国的にも有名になりました。しかし大きな頭は重く、さらに従来12頭身であった人形が6頭身になり、グロテスクな感を与えました。また細かい感情の表現が難しい等の理由で、文楽系の人形座ではあまり使用されませんでした。
【木偶人形の見方】
木偶人形の要点は頭です。手足や衣装は頭に合わせたものなのです。人形頭は本来静止した状態で鑑賞するものではなく、上演の姿を見るものです。上演ともなれば、頭は役柄や性格を明確に示す必要があります。そのために頭の表情は、どうしても大げさで極端になってきます。
[国指定重要無形民俗文化財]
提供:徳島県立阿波十郎兵衛屋敷 様
所在地 | 徳島県 |
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展示場&開催場所 | 【徳島県立 阿波十郎兵衛屋敷】
館内には、かつて神社の境内によく見られた農村舞台を模した舞台と観客席があり、阿波人形浄瑠璃を毎日上演しています。また木偶(でこ)人形や人形浄瑠璃の衣装などの資料も充実しているほか、人形の動かし方や大夫、三味線など演者の役割についても学んでいただけます。 |
問い合わせ先 | 徳島県立 阿波十郎兵衛屋敷
TEL 088-665-2202 / FAX 088-665-3683 |
アクセス | JR徳島駅から … 車で15分、川内循環バス(徳島市営バスターミナル7番のりば)で約30分 「十郎兵衛屋敷」下車すぐ
徳島自動車道から…徳島インターより5分 神戸淡路鳴門自動車道から…鳴門インターから20分 |
URL | https://joruri.info/jurobe/ |