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NPO法人日本伝統文化振興機構は、日本の伝統文化の継承・創造・発展のための活動を行っております。
狂言 | 能・狂言 カテゴリ

総数:127件

伝統文化

狂言
伝統文化の分類 能・狂言
文化名 狂言



狂言《特徴》
狂言の発生
伝統芸能の「狂言」は 14世紀頃の室町時代に現れた日本初の“喜劇”です。
それまでの時代においては人々を面白がらせるものは、軽業や物真似などの見た目の面白さが中心で、猿楽や田楽などが人々を楽しませていましたが、猿楽において筋書きのある見世物が考案されました。
そして歌舞を取り入れたものが「能」と呼ばれ、言葉遊びや語りを取り入れたものが「狂言」と呼ばれるようになりました。
台詞を聞かせて笑わせるというのが狂言の最大の特徴といえるでしょう。


狂言の確立
猿楽に対抗し、一大勢力であった田楽でも能を作って対抗しましたが、14世紀に観阿弥・世阿弥を輩出した「猿楽の能」には負けてしまい歴史から姿を消していきます。
一方、狂言も同じ猿楽であるにもかかわらず、将軍家に庇護された能の前では下品で洗練されていないとのことから、能に従属する立場を取らざるを得ませんでした。
16世紀になり、戦国の世を制した豊臣秀吉によって、各地に存在した猿楽の座(劇団)のうち大和の四座(観世、金春、宝生、金剛)は給料をもらい身分を保証されました。
その後の天下を握った徳川家康も秀吉の政策を踏襲し、さらに猿楽を幕府の儀式で演じるように決めました。


苦難と発展
大政奉還により徳川幕府がなくなると、役者はたちどころに生活に窮してしまいます。
ある者は猿楽を捨て、またある者は働きながら細々と役者を続けていきました。
しかし、外交を繰り広げる明治政府が海外の要人を歓迎するために猿楽を見せる事を決めたので、猿楽は再び息を吹き返しました。
おそらくこの時に「猿」が野蛮であると受け取られ、「能楽」と名を改められたと思われます。
息を吹き返した能楽は貴族や金持ちをパトロンとして存続することとなりましたが、笑いは下品であるという時代であったため、狂言は冷遇されました。
それが太平洋戦争敗戦により庶民の手に戻ることとなります。そして笑いの解禁とともに狂言も再び活気付きます。
2001年にはユネスコによる最初の世界無形文化遺産に指定され、能楽界には追い風が吹いていますが、これにうまく乗って古典の世界を広め、深めることが狂言界のみならず、能楽界の課題となっています。


[2001年 ユネスコ 世界遺産(無形文化遺産)登録]

狂言総合サイト 太郎冠者 コンテンツ内
「狂言とは?」より転載(一部修正)


展示場&開催場所 京都観世会館/金剛能楽堂 他
問い合わせ先 京都学生狂言研究会
観るポイント 年3回(春・夏・秋)に狂言の公演を行っております。
詳細な時期につきましては、「狂言総合サイト 太郎冠者」(http://www.tarokaja.com)に
掲載されております。