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《特徴》
◎宍喰の八坂神社と祇園祭
海陽町宍喰(ししくい)の中心に位置する八坂神社は、須佐之男命(すさのおのみこと)を祭神としており、京都の八坂神社、広島県福山市鞆浦町沼名前(ぬなくま)神社とともに、日本三祇園とも称され、昔から庶民の崇敬が篤く大切に守られてきました。
八坂神社の祇園祭は、京都八坂神社の山鉾巡行と同じ7月16日、17日の両日になっていますが、古くは祇園会といい6月7日から14日までの8日間行われていたようです。また、季節柄昔から「祇園さんの太鼓がなると梅雨が明ける」とよく言われています。
この祭礼では、関船(せきふね)(※1)やだんじり、稚児の能楽舞などが、各地域の人々の職能により分担して行われています。
※1・・・日本の水軍で中世後半(戦国時代)から近世(江戸時代)にかけて使われた中型の軍用船。
◎職能による分担
八幡丸の関船は漁業者が担当、大山・小山の組み立ては郷分(さとぶん:久保以西10地域)が担当し、その中の日比原地区の人によって曳き綱が毎年献上されます。
また、だんじり3台を出す組はそれぞれ、金弊仲(きんぺいなか:神輿渡御に加わる大工、左官の組)、商人仲(あきんどなか:西町の商売人の組)、鷲住仲(わしずみなか:西町の農業者の山仲組と鍛冶屋町組が合併した組)です。
そして稚児の能楽舞は祇園講と言い、西町の子供が担当します。
大山鉾(大山・小山)を曳いて練り歩き、稚児舞を披露する一連の行事は、宍喰祇園祭の中心となるものであり、京都祇園祭の山鉾が地方的に展開したものです。
◎祭りの特色1~稚児舞
この祭礼の特色は、本宮で奉納される稚児舞で、槍(さきやり)の舞、八つ橋の舞、獅子の舞があり、歌詞として謡曲「猩々(しょうじょう)」の中の「老いせぬや、老いせぬや、薬の名をも菊の水(酒)、盃も浮かみ出でて、友に逢うぞ、嬉しき、この友に逢うぞ嬉しき」の部分が歌われる、古典色豊かなものです。
奉納舞のストーリーは、昔話の「赤目退治」が基になっており、先槍を連れた八つ橋なる漁師が、獅子を打ちに行く様を能楽に仕組んだもので、能囃子によって演じられます。
これはもともと、本宮で最後に大山鉾の台上で奉納し、祭りの最後を飾る儀式でした。しかし現在は神社の拝殿前の舞台で奉納されています。
稚児舞を舞う子どもは、毎年「能楽鑑賞会」を小学校で開催し、能に興味のある子どもを募集しています。少子化が問題になっている現在ですが、奉納の舞だけは今でも男の子が受け持ち継承しています。
◎祭りの特色2~大山鉾・小山鉾
さらに、この祭礼のもう一つの特色は、二層吹抜屋形四輪式の大山鉾(大山と小山が連結している)です。
大山の「桂男(かつらおとこ:月にすむ男)鉾」には、鉾柱(ほこばしら)に鉄の玉2個をてんびん棒でかつぐ木製の人形(桂男)が固定されていますが、以前はこれをぐるぐる回し、海の方角を向けばその年は大漁であり、陸の方を向けば豊作であると、その年の漁業農業の吉凶を占っていたようです。
桂男の衣装は、疫病退散のお礼に、と傷みがひどくなれば海部の川西地区の人によって献上されるのが習わしです。
昔、地元久保地区で作って着せたところ、桂男がそっぽを向きそれを脱ぎ捨て、だんじりの車輪が動かなくなったという言い伝えがあります。
小山は金襴の袋で包まれた木製の長刀を飾っており、京都の長刀鉾とよく似ています。曳き綱は太い荒縄で作った巨大なもので、周囲60センチ、長さ50メートルほどの大きさがあります。また、屋根は板屋根の上に椎や樫の青柴を葺き、車輪は丸太を輪切りにした素朴な作りとなっており、全行的にも珍しい鉾です。
曳き手は久保地区の青年で、女性の着物を着て顔はいびつな化粧をし、「伊勢節」(※2)を歌いながら曳き回します。また、以前は大山には稚児の舞方が乗り、小山には囃子方が乗って演奏していたようで、まさに動く能楽堂のような風流なものであったと言われています。
※2・・・全国から伊勢に参拝に訪れた人々が、伊勢地方で歌われていた民謡をそれぞれの土地に持ち帰り広めたもの。
[国選択記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財]
提供:海陽町観光協会 様
八坂神社
◎宍喰の八坂神社と祇園祭
海陽町宍喰(ししくい)の中心に位置する八坂神社は、須佐之男命(すさのおのみこと)を祭神としており、京都の八坂神社、広島県福山市鞆浦町沼名前(ぬなくま)神社とともに、日本三祇園とも称され、昔から庶民の崇敬が篤く大切に守られてきました。
八坂神社の祇園祭は、京都八坂神社の山鉾巡行と同じ7月16日、17日の両日になっていますが、古くは祇園会といい6月7日から14日までの8日間行われていたようです。また、季節柄昔から「祇園さんの太鼓がなると梅雨が明ける」とよく言われています。
この祭礼では、関船(せきふね)(※1)やだんじり、稚児の能楽舞などが、各地域の人々の職能により分担して行われています。
※1・・・日本の水軍で中世後半(戦国時代)から近世(江戸時代)にかけて使われた中型の軍用船。
◎職能による分担
八幡丸の関船は漁業者が担当、大山・小山の組み立ては郷分(さとぶん:久保以西10地域)が担当し、その中の日比原地区の人によって曳き綱が毎年献上されます。
また、だんじり3台を出す組はそれぞれ、金弊仲(きんぺいなか:神輿渡御に加わる大工、左官の組)、商人仲(あきんどなか:西町の商売人の組)、鷲住仲(わしずみなか:西町の農業者の山仲組と鍛冶屋町組が合併した組)です。
そして稚児の能楽舞は祇園講と言い、西町の子供が担当します。
大山鉾(大山・小山)を曳いて練り歩き、稚児舞を披露する一連の行事は、宍喰祇園祭の中心となるものであり、京都祇園祭の山鉾が地方的に展開したものです。
◎祭りの特色1~稚児舞
この祭礼の特色は、本宮で奉納される稚児舞で、槍(さきやり)の舞、八つ橋の舞、獅子の舞があり、歌詞として謡曲「猩々(しょうじょう)」の中の「老いせぬや、老いせぬや、薬の名をも菊の水(酒)、盃も浮かみ出でて、友に逢うぞ、嬉しき、この友に逢うぞ嬉しき」の部分が歌われる、古典色豊かなものです。
奉納舞のストーリーは、昔話の「赤目退治」が基になっており、先槍を連れた八つ橋なる漁師が、獅子を打ちに行く様を能楽に仕組んだもので、能囃子によって演じられます。
これはもともと、本宮で最後に大山鉾の台上で奉納し、祭りの最後を飾る儀式でした。しかし現在は神社の拝殿前の舞台で奉納されています。
稚児舞を舞う子どもは、毎年「能楽鑑賞会」を小学校で開催し、能に興味のある子どもを募集しています。少子化が問題になっている現在ですが、奉納の舞だけは今でも男の子が受け持ち継承しています。
◎祭りの特色2~大山鉾・小山鉾
さらに、この祭礼のもう一つの特色は、二層吹抜屋形四輪式の大山鉾(大山と小山が連結している)です。
大山の「桂男(かつらおとこ:月にすむ男)鉾」には、鉾柱(ほこばしら)に鉄の玉2個をてんびん棒でかつぐ木製の人形(桂男)が固定されていますが、以前はこれをぐるぐる回し、海の方角を向けばその年は大漁であり、陸の方を向けば豊作であると、その年の漁業農業の吉凶を占っていたようです。
桂男の衣装は、疫病退散のお礼に、と傷みがひどくなれば海部の川西地区の人によって献上されるのが習わしです。
昔、地元久保地区で作って着せたところ、桂男がそっぽを向きそれを脱ぎ捨て、だんじりの車輪が動かなくなったという言い伝えがあります。
小山は金襴の袋で包まれた木製の長刀を飾っており、京都の長刀鉾とよく似ています。曳き綱は太い荒縄で作った巨大なもので、周囲60センチ、長さ50メートルほどの大きさがあります。また、屋根は板屋根の上に椎や樫の青柴を葺き、車輪は丸太を輪切りにした素朴な作りとなっており、全行的にも珍しい鉾です。
曳き手は久保地区の青年で、女性の着物を着て顔はいびつな化粧をし、「伊勢節」(※2)を歌いながら曳き回します。また、以前は大山には稚児の舞方が乗り、小山には囃子方が乗って演奏していたようで、まさに動く能楽堂のような風流なものであったと言われています。
※2・・・全国から伊勢に参拝に訪れた人々が、伊勢地方で歌われていた民謡をそれぞれの土地に持ち帰り広めたもの。
[国選択記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財]
提供:海陽町観光協会 様
八坂神社
所在地 | 徳島県海部郡海陽町久保 |
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展示場&開催場所 | 開催場所:宍喰八坂神社周辺
〒775-0502 徳島県海部郡海陽町久保字久保84 開催日:毎年7月16日、17日 |
問い合わせ先 | 海陽町観光協会
TEL:0884-76-3050 |
アクセス | 宍喰八坂神社
車で…徳島ICより国道11号・55号経由で室戸・高知方面へ約2時間10分 電車で…阿佐海岸鉄道「宍喰駅」下車、徒歩2分 |
観るポイント | 7月16日に行われる宵宮祭(よいみやまつり)では、3年前から奉納煙火大会に合わせ行われている、大山鉾台上での祇園ばやしが祭りを盛り上げます。
そして7月17日の祭りでは、この祭の中心である稚児舞や勇壮な大山鉾の曳き回しが行われ、また、美しく飾られた関船が町を練り歩きます。 |
伝統文化の 体験・一般参加 |
「宍喰八坂神社の祇園祭」の様子を見学いただけます。
【宍喰八坂神社の祇園祭】 場所:宍喰八坂神社周辺 日にち:7月16日、17日 |
URL | https://www.kaiyo-kankou.jp/event/event-961/ |