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伊那谷のコト八日行事 | 神事・儀式 カテゴリ

総数:128件

伝統文化

伊那谷のコト八日行事
伝統文化の分類 神事・儀式
文化名 伊那谷のコト八日行事



伊那谷のコト八日行事《特徴》
飯田市の天竜川左岸(「竜東」と俗称されます)や駒ケ根市では、2月8日あるいは9日に「事の神送り」あるいは「風の神送り」などと呼ばれる行事が行われ、その前日もしくは数日前に「事念仏」「大将荒神」などと呼ばれる行事が行われています。
飯田市内の多くの集落では、この二つの行事を一体として行っており、年の初めに集落に降りかかる厄災を集落の外へ送り出そうとする行事です。

事念仏・大将荒神では、集落内の各家の他、神社・祠・堂などをまわり、鉦と太鼓を叩きながら念仏を唱え、お布施・お駄賃を貰います。

事の神送りの特徴は、笹竹などを集落境まで運び、次の集落がこれを引き継ぎ、各地の笹竹を集めながら次の集落まで運ぶ、ということを繰り返すところです。段丘の多い伊那谷でひときわ目立つ、神之峰という独立した山を中心に、東側ルートと西側ルートがあり、最後は下伊那郡喬木村富田地区の境(北の原)まで送りますが、この流れに乗らず独自に北の原まで送る北の原周辺の集落や、まったく単独のルートで行う集落もあります。

かつては子どもだけで行う行事で、男子だけ、あるいは一家に一人だけ、などといった決まりもありましたが、現在は女子や大人も加わっています。

<歴史>
神送りは、野池では400年前から始まったと伝えられていますが、定かではありません。しかし、笹竹をリレーするなど結びつきの強い集落が江戸時代の行政単位を越えており、戦国時代の豪族知久氏の領内に治まっていること、下伊那郡天龍村で戦国時代に同種の行事が行われていた記録(『熊谷家伝記』)があることなどから、神送りの起源は戦国時代までさかのぼると考える研究者もいます。

事念仏は、行事の分布が江戸時代中頃以降の行政区分と重なること、天明2年(1782)からという伝承が喬木村富田地区、天保4年(1833)との伝承が千代地区野池にあることから、江戸時代中頃以降に広まった可能性が指摘されています。

[国選択記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財]
提供:飯田市教育委員会 生涯学習・スポーツ課 文化財保護係 様、飯田市美術博物館 様


所在地 長野県飯田市千代・上久堅・龍江 他
展示場&開催場所 長野県飯田市千代・上久堅・龍江 他
問い合わせ先 飯田市教育委員会 生涯学習・スポーツ課 文化財保護係
〒395-8501
飯田市大久保町2534番地
TEL:026-22-4511
アクセス 中央自動車道飯田ICより車で40分
URL https://www.city.iida.lg.jp/site/bunkazai/kotoyouka.html