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NPO法人日本伝統文化振興機構は、日本の伝統文化の継承・創造・発展のための活動を行っております。
滝宮の念仏踊 | 郷土芸能・民俗芸能 カテゴリ

総数:127件

伝統文化

滝宮の念仏踊
伝統文化の分類 郷土芸能・民俗芸能
文化名 滝宮の念仏踊



滝宮の念仏踊《特徴》
◎滝宮の念仏踊について
昭和37年4月14日無形文化財として県の指定を受け、昭和46年11月11日文化庁より「記録作成等の措置を講すべき無形文化財」として選択され、さらに昭和52年5月17日文化庁より文部大臣による重要無形民俗文化財として国の指定を受けました。また、2022年11月30日には「風流踊」としてユネスコ無形文化遺産に登録されました。千年余りの昔から、菅原道真公への感謝と五穀豊穣を祈って踊り続けられたこの踊りは、今でも私達の生活の中に祖先の命が通っていることを感じさせられます。

◎滝宮の念仏踊の由来
滝宮の念仏踊は、その起源を滝宮天満宮の祭神、菅原道真公に由来しています。菅原道真公が讃岐国司として在任された仁和4年(888年)の3月頃から全く雨がなく、5月に入ってもさらになく、池や川はことごとくかれ、むぎは枯れ果て田植えの準備もできず、百姓の辛苦は目もあてられない状況でした。この惨状を見た菅原道真公は、身をもってこれを救おうとし、5月6日身命を捧げて城山神社に雨を祈ること7昼夜に及びました。その時百姓達は死出の服装をしてこの地に集まり、今や遅しと降雨を待ちました。かくして菅原道真公の至誠神に通じたものか、満願の日、天たちまち曇り雷鳴四方に轟き、大雨沛然として3昼夜にわたり降り続き、枯れかかった作物は蘇生し、農民はわれを忘れて喜びいさみ、滝宮牛頭(ごず)天王社(今の滝宮神社)前に集まり、神に感謝し菅原道真公の徳をたたえて踊りくるったといいます。その後、延喜3年(903年)2月25日に菅原道真公が大宰府で亡くなったことを知った百姓たちは、7月滝宮牛頭天王社で鉦や太鼓を打ち鳴らして菅原道真公の霊を弔い、冥福を祈りました。それ以来、毎年旧暦7月25日、昭和39年からは新暦8月25日に菅原道真公に感謝をこめるとともに、五穀豊穣を祈って、また干ばつの時には臨時に雨乞いを祈願して滝宮神社と滝宮天満宮へ奉納するようになり滝宮踊りとして踊るようになったと伝えられています。後に法然上人が讃岐に来たとき、踊りにふり付けをして念仏を唱えながら踊るように教え、それから念仏踊りといわれるようになったといわれています。ユネスコ無形文化遺産に登録されて以降、8月下旬の日曜日に奉納されています。

◎踊の概要
境内に一同勢ぞろいしたうえ、菩薩を象徴する子踊りを中心に、行列入場します。これを入庭(いりは)と言います。神前に輪を作り、神職の修祓の儀、薙刀の悪魔払いの後、花笠をかぶり、錦の袴・梅鉢の定紋入りの陣羽織を着た下知(げじ)は、願成就(がんじょうなり)の発声に合わせて、太鼓・笛・鉦(かね)・ほら貝のはやしに合わせて、日月を描いたうちわをひらめかせ、まわりに並ぶ警固の「ナムアミドーヤ」と節をつけて唱える歌詞に合わせて踊ります。太鼓打ちは、6歳~12歳の子どもが袴をはき、たすきをかけ、花笠をかぶって太鼓を打ちます。また、錦の袴をつけ、花笠をかぶった2人の中鉦は、鉦を鳴らしながら、下知・太鼓打ちとともに踊ります。ひと踊り終われば下知の号令で一同拝礼して次の組と交替します。全部の組が踊り(常例9庭・雨乞33庭)終われば、総員貝・笛・鉦を打ち鳴らし、社殿を3回廻り拝礼して終わります。これを「宮めぐり」とも「揚庭(あげは)」とも言います。

◎踊組の編成(滝宮念仏踊保存会)
(綾南地区) ・北村組 ・千疋組 ・萱原組 ・小野組 ・羽床下組
(綾上地区) ・西分組 ・牛川組 ・羽床上組 ・東分組 ・山田上組 ・山田下組

先導 西分八幡奴組

  ※5年ごとに総踊り(11組全部)
  ※坂本組は3年ごと

[国指定重要無形民俗文化財]
提供:綾川町役場経済課 様

滝宮神社


滝宮天満宮

所在地 綾歌郡綾川町滝宮 
展示場&開催場所 滝宮神社・滝宮天満宮
問い合わせ先 綾川町教育委員会 生涯学習課
TEL 087-876-1180
アクセス 滝宮駅より徒歩5分(琴電琴平線)。高松西ICより30分(府中湖インター(ETC専用)より5分)
観るポイント 真夏の暑い日差しの下で一斉に揃った太鼓の音や歌声、ゆったりとした踊りに迫力を感じます。
独特の衣裳や大きなうちわも素晴らしいです。
URL https://www.town.ayagawa.lg.jp/