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NPO法人日本伝統文化振興機構は、日本の伝統文化の継承・創造・発展のための活動を行っております。
題目立 | 郷土芸能・民俗芸能 カテゴリ

総数:128件

伝統文化

題目立
伝統文化の分類 郷土芸能・民俗芸能
文化名 題目立



《特徴》
題目立は源平の武将を題材とした演目を、出演者が登場人物ごとに台詞を分担して、独特の抑揚をつけて語る芸能です。 出演するのは上深川の17才を中心とした青年たちです。上深川では17才になると神社の伝統的な祭祀組織である宮座(みやざ)に加入する慣わしがあり、座入りすることにより、はじめて一人前の地域の成員として認められると考えられてきました。題目立は座入りする年齢に達した青年による氏神への奉納芸能であることから、成人儀礼の性格をもつ行事と考えられます。多くの場合、17才の者だけでは人数が足りず、それに近い年上の者が一緒に演じます。

上深川には「厳島」(いつくしま)「大仏供養」(だいぶつくよう)「石橋山」(いしばしやま)の3曲の詞章(ししょう)が伝わっています。このうち上演されるのは「厳島」か「大仏供養」で、「厳島」は8人、「大仏供養」は9人で演じます。またゾオク(造宮)といって八柱神社の社殿の建て替えや修理が行われると、その年から3年は「厳島」を奉納する慣わしになっています。
宵宮祭の夜、出演者は楽屋にしている神社西隣りの元薬寺(がんやくじ)を出て、長老の先導で「みちびき」を謡いながら、神社本殿下にある参籠所前に設けられた舞台に向かいます。ソウ(素襖)を着て立烏帽子(たてえぼし)をかぶり、扇を襟首に挿し、弓を手にするという出立ちで(役により若干相違があります)、舞台の周りの所定の位置につきます。参籠所にいる呼び出し役が、「一番 清盛」と台詞の順番と役名を呼ぶと、出演者はそれに応じて、独特の抑揚をつけて、まず最初に「我はこれ」とか「そもそもこれは」という言い回しで始まる文句で自らの名を名乗ってから、台詞を語っていきます。
「厳島」では清盛が弁才天から長刀を授かる場面がありますが、基本的に所作はほとんどなく、出演者は所定の位置で静かに物語りを語り継いでいきます。この語りが題目立の大きな特色です。曲の最後近くになると「フショ舞」が舞われます。出演者全員で「よろこび歌」を謡うなか、一人が舞台中央に進み出て反り返るようにして扇をかかげ、強い調子で足を踏みながら舞台を一回りします。短いものですが、それまでの静かな雰囲気から一転した動作で印象的な舞いです。
最後に「入句」を唱和し、再び長老の先導で「みちびき」を謡いながら退場します。

題目立がいつごろ始まったかは定かではありません。興福寺の僧侶の記した『多聞院日記』「夢幻記」天正4年(1576)ごろの記述に「題目立トテ田舎ノ宮ウツシノ時、昔ノ名仁ノ出立ニテ名乗」とあり、上深川近くの丹生神社(奈良市丹生町)にも16世紀末から17世紀初めの年紀のある詞章の一部が残ります。また奈良市田原地区の無足人の日記にも、元禄5年(1692)や宝永3年(1706)に山添村の峯寺や的野で題目立が演じられたことが記されています。
上深川には享保18年(1733)に、寛永元年(1624)ごろの詞章を書写し直した詞章本が残されていて、近世初期にはこの地で題目立が行われていたことがわかります。題目立の名称は、1603年刊行の『日葡辞書』に「ダイモク」を「ナヲアラハス」と説明していることなどから、出演者が名を名乗り、それから順次、条目を述べ立てるように物語を語っていくことからきた名称ではないかと推測されます。

[国指定重要無形民俗文化財]
提供: 奈良市役所 教育総務部 文化財課 様


所在地 奈良市上深川町
展示場&開催場所 上深川町/八柱(やはしら)神社の秋祭り
日時:10月12日
問い合わせ先 教育総務部 文化財課
Tel 0742-34-5369 / Fax 0742-34-4859
アクセス バスで … 国道山添・上野行バス 国道小倉下車、徒歩40分
観るポイント 出演者の役は決まっていますが、簡素な舞台装置と簡単な採り物を持つだけで、仮装もせず所作も僅かで、舞台の所定の位置で各々の台詞を語っていくという内容は、芸能史の研究者から「語りものが舞台化した初期の形を伝えている」と評され、中世の芸能の姿をうかがわせるものとして高く評価されています。現在、題目立は上深川にしか伝承されておらず、そういう点でも貴重です。またこれが観客よりも、あくまで氏神への奉納芸能としての形式を保っており、あわせて青年たちの成人儀礼の意味合いをもち、地域の人たちの支えを受けて上演されることも、この芸能の民俗的な特色として重要です。