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NPO法人日本伝統文化振興機構は、日本の伝統文化の継承・創造・発展のための活動を行っております。
名喜里祇園祭の夜見世 | 祭り カテゴリ

総数:128件

伝統文化

名喜里祇園祭の夜見世
伝統文化の分類 祭り
文化名 名喜里祇園祭の夜見世



名喜里祇園祭の夜見世《特徴》
 祇園祭は京都の八坂神社の夏祭りが有名ですが、日本全国のいろいろなところでこの祇園祭が行われており、田辺市内でも、大潟神社の祇園祭以外に、中屋敷町の八坂神社、湊の蟻通神社、中万呂の須佐神社、芳養町大坊の祇園神社などでも祇園祭が行われています。
 もともと祇園祭が始められた理由は、御霊や疫神(※1参照)のたたりを避けるためと言われています。つまり、疫病(※2参照)などの病気にかかってしまうことを避けるために始められたということができます。

 新庄の祇園社はもともと天王橋の近く(現在の新庄農協の近く)にあった社に祀られていた「天王さん」で、現在は大潟神社に一緒に祀られています。
 大潟神社の祇園祭は毎年7月14日に行われてます。「ぎおんさんの夜見世」はお祭りの当日の前夜(7月13日)に行われる宵宮(※3参照)の行事、つまり前夜祭のようなものです。この行事は、江戸時代中期(西暦1700年代)ごろから始まったとみられています。
 現在この行事は、田辺市の無形民俗文化財(※4参照)となっています(昭和63年指定)。

 「夜見世」とは、宵宮の日(7月13日の夜)に名喜里橋から大潟神社までの各家の軒下や玄関先をかざりつける出し物(見せ物)のことです。
 出し物は、いろいろな「おめでたいもの」を題材にして(例えば、浦島太郎やさるかに合戦といったおとぎ話や伝説・鶴亀など)、野菜や花、木の葉、たね、日常の家庭用品などを使って作った作品を並べます。
 この夜見世の行事は、京都などで行われている屏風祭(※5参照)の形式を受け継いで、始まったのではないかともいわれています。
 ぎおんさんの夜見世は、こうした「おめでたいもの」を飾り付けることで、祇園の神様に自分たちを守ってほしいという人々の願いをあらわしたものだといえます。

【※1 疫神】
 昔は、今の世の中のように食べ物を保存しておく冷蔵庫もなく、病気にかかるとその病気を治す薬も発達しておらず、人々は伝染病にかかってしまうことをとても怖がっていました。そして、なぜ病気になったのか、現代のように医療も発展していなかったために分からなかったため、こうした病気にかかってしまうと、人々を悪い病気にかからせる神がそうしたのだと考えたようです。
 特に夏になってくると、気温・湿度が上がり、病気のもとになる細菌などが増えやすい季節となり、伝染病などにかかりやすかったため、夏場の疫神などのたたりを避けるために、祇園祭が始まったされる説もあります。

【※2 疫病】
 悪性の伝染病のこと。

【※3 宵宮】
 祭日の前夜に行う祭り。夜宮(よみや)。

【※4 無形民俗文化財】
 衣食住・生業・信仰・年中行事等についての風俗習慣や民俗芸能で、国民生活の推移(歴史の流れ)を理解するために欠くことのできないもの。

【※5 屏風祭】
 自分の家にもっている美術品(多くは屏風や掛け軸)を外から見てもらえるように飾る祭り。京都の町などで見られる。

[田辺市指定無形民俗文化財]
情報・画像提供: 田辺市役所 観光振興課 様

大潟神社

所在地 和歌山県 田辺市
展示場&開催場所 大潟神社
〒646-0011
田辺市新庄町1441番地
問い合わせ先 田辺市役所 観光振興課
TEL 0739-26-9929
観るポイント 神社へ向かう通りの家々の前や玄関先に飾られた、ナスやにんじんかぼちゃなどなど野菜でできた動物や人形は、とても可愛らしいものから力作まで趣向をこらされたすてきな作品が通る人々の目を楽しませてくれます。
伝統文化の
体験・一般参加
「名喜里祇園祭の夜見世」の様子を見学いただけます。
【場所】名喜里橋から大潟神社
【日時】7月13日