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NPO法人日本伝統文化振興機構は、日本の伝統文化の継承・創造・発展のための活動を行っております。
伝統工芸館 カテゴリ

総数:400件


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総数:400件

伝統工芸品三重県

三重県
工芸品の分類 工芸用具・材料
工芸品名 伊勢形紙

主要製造地域:三重県




《特徴》
伊勢型紙とは、友禅、ゆかた、小紋などの柄や文様を着物の生地を染めるのに用いるもので、千有余年の歴史を誇る伝統的工芸品(用具)です。
和紙を加工した紙(型地紙)に彫刻刀で、きものの文様や図柄を丹念に彫り抜いたものですが、型紙を作るには高度な技術と根気や忍耐が必要です。昭和58年4月には、通商産業大臣より伝統的工芸品(用具)の指定をうけました。

伊勢形紙と伊勢型紙という字の使われ方について説明します。
歴史的には、古くから「形」という字が用いられてきました。江戸時代から明治時代にかけてこの「形」という字がもちいられてきましたが、大正、昭和にかけて「形」と「型」の二つの字が併用されました。そして戦後には「型」という字に統一して使用されるようになりました。
この字に関してですが、昭和30年に重要無形文化財「伊勢型紙」の技術保持者として6名が認定をうけました。しかし、昭和58年に通商産業大臣(現・経済産業省)が伝統的工芸品の指定に際して「伊勢形紙」として登録しました。

このことにありますように、「形」と「型」の字の混在は現在にもつながっています。
しかし現在では「型」の字に統一しようという動きになっています。そもそも「形」と「型」の字の持つ意味合いは「型」の字のほうがふさわしく、一般的な認知度を考えてみると、インターネット検索の結果では、圧倒的に「型」の字が多く表示されます。
このことにより、2009年には、業界の統一を図るように「伊勢型紙産地協議会」が設立されまして、「伊勢型紙」として地域ブランドを取得しました。

前述の、伝統的工芸品の指定に際しては「形」を用いるため、併用は避けられませんが、できるだけ「型」を用いていこうという業界の流れになっていきています。
また「形」と「型」が用いられる伊勢型紙は、歴史の流れを大きく汲んでいることを考えるとそれは、味わいのあることではないでしょうか。

[ 国指定伝統的工芸品(経済産業大臣指定) ]
提供 : 伊勢形紙協同組合 様

素材 美濃和紙
製法・工法 【型地紙の製造工程】

染型紙には、高度な彫刻技術と共に、強くて伸縮しない性質の紙が欠かせません。
この紙を型地紙とよび、美濃和紙を柿渋でベニヤ状に張り合わせ、燻煙と乾燥による伝統的な製法で作られます。

◆型地紙の工程
【1】 法造り(ほづくり)
200枚から500枚の和紙を重ね規格寸法に裁断します。

【2】 紙つけ
3枚の和紙を紙の目に従ってタテ、ヨコ、タテとベニヤ状に柿渋で張り合わせます。

【3】 乾燥
紙つけの終わった紙を桧の張板に貼り、天日で干します。

【4】 室干し(むろがらし)
乾燥した紙を燻煙室へ入れ、約1週間いぶし続けると、伸縮しにくいコゲ茶色の型地紙となります。
さらにもう一度柿渋に浸し、天日乾燥→室干し→表面の点検という工程を経て型地紙になります。

◆彫刻技法
縞彫り
定規と彫刻刃で均等の縞柄を彫ります。単純な作業のようですが、1本の縞を彫るのに同じ場所を三度続けて小刃でなぞるため、極めて正確な技術が必要です。
1cm幅に、最高で11本もの縞を彫ることもあります。この彫りには「糸入れ」が必要です。

突彫り
5~8枚の型地紙を穴板という台に置いて、刃先が1mm~2mmの小刃で、垂直に突くようにして前に彫り進みます。これには補強のために紗張りをすることもあります。直線や大きな柄を彫る場合に、現在では小刃を手前に引くようにして彫ります。彫り口が微妙に揺れるので独特のあたたかい感じがあります。

道具彫り
刃自体が、花・扇・菱などの形に造られた彫刻刃を使って色々な文様を彫り抜きます。この技法は道具造りから始まり、道具の出来栄えが作品を大きく左右します。道具彫りの特徴は文様が均一になること、多様な形が表現できることです。江戸小紋では、一般的な技法で、俗に「ごっとり」とも呼ばれています。

錐彫り
小紋を彫る技法では、鮫小紋、行儀、通し、アラレなどの種類があります。刃先が半円形の彫刻刃を型地紙に垂直に立て、錐を回転させながら小さな孔を彫っていきます。
1平方センチに100個ほどの穴が彫られた作品もあり、単調な柄だけに難しい技法とされています。
歴史 【型紙のおこり】
諸説あり、平安期、室町期など伝説に近い

型紙のおこりについてはいくつかの説があります。
奈良時代に孫七という人がはじめたという伝説や、子安観音の和尚が、虫食いの葉を見て型紙を思いついたという伝説や、平安時代には、型売り業者がいたといわれていたり、応仁の乱の時に京都から逃れてきた型彫り職人が型彫りの技術を伝えたという説など、いくつもの伝説や言い伝えがありますが、特定できる説はなく解明されていません。
しかし、もともと白子には、和紙も型染もなかったため、京都との結びつきや紀州からの伝搬など、他の地域との関連を考える説が多くあります。

【江戸時代の発展】
紀州藩の保護を受けて大きく発展、小紋の発達

江戸時代に入ると、白子は紀州藩の天領になります。
そして、伊勢型紙は紀州藩の保護を受けて発展していきます。このころ武士の裃に型染がもちいられ、その小紋はどんどん細かくなっていきます。
型を彫る職人と染める職人の協同で、発展をしていったといわれています。
また型売り業者は株仲間を組織して、紀州藩の保護を背景に全国各地に型紙を売り歩きました。その結果全国的に伊勢型紙はひろまりました。

【明治からの流れ】
株仲間の解散、繁盛する時期もあれば、戦争で打撃を受けることも

明治時代になって、江戸時代に組織されていた株仲間は解散します。
近代化の流れをうけて、衣服の文化も変わっていきますが、消長をくりかえしています。
しかし、太平洋戦争で大きな打撃を受けて、型紙業者がほとんどいなくなります。
終戦後に国内の復興が進むと、また着物の需要が増えていきます。
型紙業者も戻っていき、昭和40年代にピークをむかえます。
そして現代の、新しい技術の普及によってだんだんと型紙の需要は減っていきました。

【現代の型紙】
着物離れが進み、技術を保存する方向で進む

現代では着物の需要が減りました。また新しい技術を用いて染色するために、型紙の需要が減っています。そのため型紙業者も減っていっています。しかし、伝統的工芸品(用具)である伊勢型紙の技術を伝えていくために、技術保存会が立ち上がりました。
また新しい活用法を模索しており、照明器具などへの応用や、建築建具に用いるなどの活用を図っています。
関連URL http://www.isekatagami.or.jp/

◆展示場所
鈴鹿市伝統産業会館
 〒510-0254 三重県鈴鹿市寺家3丁目10-1
 TEL&FAX : 059-386-7511
 開館時間 : 9:00~16:30
 休館日 : 毎週月曜日(祝日の時は翌日)、年末年始(12月28日~1月4日)
 入館料 : 無料



◆イベント開催
鈴鹿市伝統産業会館
 毎週日曜日に実演がみられます。