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NPO法人日本伝統文化振興機構は、日本の伝統文化の継承・創造・発展のための活動を行っております。
伝統工芸館 カテゴリ

総数:400件


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総数:400件

伝統工芸品沖縄県

沖縄県
工芸品の分類 織物
工芸品名 久米島紬

主要製造地域:沖縄県




《特徴》
「紬」は「紡織り」の略で、蚕繭から糸を取り出し、よりをかけて丈夫な糸に仕上げて織った絹織物のことです。
沖縄の織物の素材をみると、芭蕉・芋麻・木綿・絹がありますが、絹織物は首里を除くほとんどが、久米島で織られていました。

14世紀の末頃、『琉球国由来記』という本の中で、久米島の「堂の比屋」という人が、中国から漂流してきた人と親しく交流するようになり、その後中国に渡り、養蚕の技術を学んで帰ってきたと書かれています。
しかし、なかなか技術が進展しなかった為、1619年、越前より坂元普基が国王の命を受けて来島し、蚕の飼い方や桑の木の栽培の仕方、綿子(真綿)の製法を伝え、その後、薩摩より友寄景友が来島し、紬の織り方と糸の染め方を伝え、技術的に従来にない飛躍的な進歩を遂げたと考えられます。

[ 国指定伝統的工芸品(経済産業大臣指定) ]

提供 : 久米島紬事業協同組合 様

素材 紬糸(絹糸)
製法・工法 【糸作り】
[生糸]養蚕→生糸→煮繭→繰糸→撚糸→精錬
[つむぎ糸]養蚕→繭の精錬→真綿作り→糸紡ぎ

経糸・緯糸

【意匠設計】
図案作成→絣作り
[経]印棒作成→綛糸糊付け→糸繰り→整経→印付け→絣繰り
[緯]種糸作成→綛糸糊付け→糸繰り→整経→絣繰り

【染色】
[経][緯]→糊落とし→染色→[泥染め(黒褐色)][ユウナ染め(灰色)][ヤマモモ・クルボー染め(黄色)][その他植物染料]

【繊維準備】
[経]
地→小管巻→整織
絣→絣解き→大分け→小分け→小管巻→整織

[緯]
地→綛糊付け→糸繰り→整経→仮筬通し→経巻→絣割り込み→綜絖通し→筬通し→機仕掛け→整織
絣→糊付け・引き伸ばし→絣解き→柄合わせ→糊付け引き伸ばし→絣割り込み→綜絖通し→筬通し→機仕掛け→整織

【製品仕上げ】
選択→自然乾燥→地直し→折りたたみ→きぬた打ち→湯のし仕上げ
歴史 沖縄は1609年に薩摩より侵略を受け、その2年後の1611年からいろいろな種類の税金が言い渡されました。
貢納布として、紬が記録に残っているのは1661年がもっとも古く、江戸で久米島の紬織りが、「琉球紬」という名で、もてはやされるのは、これから100年も後のことでした。

18世紀以後は、紬の生産が大変盛んになります。
近代に入ってからの資料によれば、両村で紬799反を税金として納めています。
この紬は、米の税金(租税)の代わりとして大半を納める仕組みで、これを「代納」といいました。
これにより、米の税金は軽減されましが、15~45歳までのすべての女性に課され、一種の人頭税とも言われ、たいへん負担の多いものでした。
しかし、不平等なことに役人の妻などは免除になったのです。
各集落には、染物文子という係が指導や監督をする「布屋」(現在の公民館)という建物があり、そこが機織りの工房となっていました。
明治30年代にはいって、御用布の制度はなくなりましたが、その頃までに伝えられた久米島紬織りの技能の伝統は、その後も脈々と伝えられ、現在につながっています。

琉球王府時代からの貢納布制度は、1879年(明治12年)の琉球処分により沖縄県になってからも存続し、以後、納付された紬は、宮古・八重山の織物とともに、那覇税務署に納められてから大阪市場で売却されていました。

ようやく1903年(明治36年)になって、地租条例・国税微収法の施行で廃止されました。
こうして織物税の制度が撤廃されて、人々は、自らの生活の糧を得る仕事として、再び紬を織ることに取り組むことになります。
ここから、紬の産業がはじまりました。
関連URL http://www.kume-tumugi.com/

◆展示場所
久米島紬の里 ユイマール館
 〒901-3104 沖縄県島尻郡仲里村字真謝1884-1
 TEL : 0989-85-8333 / FAX : 098-985-8970