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NPO法人日本伝統文化振興機構は、日本の伝統文化の継承・創造・発展のための活動を行っております。
伝統工芸館 カテゴリ

総数:400件


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総数:400件

伝統工芸品三重県

三重県
工芸品の分類 漆器
工芸品名 伊勢春慶

主要製造地域:三重県




《特徴》
伊勢春慶は、江戸時代から昭和30年代頃まで伊勢で盛んに作られた日常の漆器です。
多くは指物による箱形の木地に弁柄や柿渋などで下塗りをしたうえ、透明な春慶漆を施したものをいいます。
丈夫で使いでの良い生活雑器として広く全国で使われていました。

伊勢春慶のルーツは室町時代に遡り、伊勢神宮の工匠が御造営の御残材の払い下げを受け、内職として始めたと伝えられています(昭和4年発行「宇治山田市史」より)。
ゆえに重箱や膳など桧の板を素材とする箱物が多く、また木目を生かす透明漆の春慶塗であることも素朴な生なりを尊ぶ伊勢の気風を現しています。
明治期には内国勧業博覧会などで「粗ナリト謂ヘドモ廉価ニシテ堅固」という評判をとり、工芸品ではない日常の雑器として全国で使われるようになりました。
まず丈夫で長持ちする実用性の高さ、そのうえに下塗りと透明漆の重なりが木目の美しさを際立たせる風合いの良さもあって、各地に広がったのです。

[ 三重県指定伝統工芸品 ]
提供 : 伊勢春慶の会 様

素材
製法・工法 【1】 切り出し
大きさを揃えて切った桧の板を削る。

【2】 削り出し
積み重ねて、角の組子の部分の凸凹を専用のかんなで削り出す。

【3】 木釘留め
組み上げて、“空木”という木釘で留める。

【4】 木地完成
白木の木地が出来上がる。

【5】 着色目止め
との粉と弁柄による着色目止めをする。

【6】 渋引き
柿渋による渋引きを2回する。

【7】 拭き漆、刻苧
拭き漆3回、最後の拭き漆の前に、隅々に刻苧(コクソ)をする。

【8】 上塗り
春慶漆または朱合漆による上塗り。

伊勢春慶の作業工程や使用される塗料などは、時代によって異なります。
伊勢春慶の復活に際しては、四隅にこくそを施したり、柿渋を用いるなど堅固という特徴はそのまま踏襲することとし、色合いについては各時代に作られた物を手に議論を重ねた結果、生産量が増えて粗雑品も現われる以前の明治時代の伊勢春慶に復活のイメージを重ねました。
すなわち、木地に弁柄の顔料を塗って赤っぽい着色をし、漆もまったくの透明ではなく少し赤みがかったものを用います。
また、木地には良質な桧を厳選、その木目の美しさを最大限に生かすために、春慶塗りではひとつひとつを丹念に仕上げています。
歴史 安永2年(1773)頃に発行された伊勢の地誌『宮川夜話草』に、漆器が伊勢の特産品の一つとしてあげられています。
江戸時代から伊勢は漆器の産地でした。
その流通を担ったのが、勢田川沿いに開けた問屋街・河崎です。
当初、伊勢神宮の外宮近辺で製造されていた伊勢春慶は、勢田川の水運を利用する河崎の商人によって伊勢湾沿岸の各地をはじめ全国へと販売されました。
幕末の頃になると河崎でも作られるようになり、大勢の指物師や塗り師などの職人が勢田川沿いに住むようになります。

明治時代、伊勢春慶は内国勧業博覧会など国内外の博覧会に数多く出品され、入賞するなど知名度をあげていきました。
伊勢春慶がもっとも盛んに作られた大正時代には、勢田川の左岸は問屋街、右岸は職人が多く住み、右岸で作った品物を左岸の問屋が商うという形で河崎は栄えました。

しかし、昭和初期まで続いた繁栄も、戦争色が強くなるにつれ職人の徴兵や材料確保の困難などにより次第に衰え、ついに断絶しました。
戦後復活したものの、高度経済成長期以降の生活様式の変化やプラスチック製品の登場などで衰退し、ついに製造は中断に追い込まれました。

それから数十年の時を経た平成15年、記憶の彼方に埋もれていた伊勢春慶に再び光が差し込みます。
町家やその古い蔵など歴史的な建物などを活かした町づくりが数年前から進められていた河崎で、かつて盛んに作られ、商われていた伊勢春慶が、ライフスタイルを見直す市民たちによって再発見されたのです。
関連URL http://www.ise-shunkei.com/index.html

◆展示場所
伊勢春慶デザイン工房
 (展示 / 伊勢春慶の購入も可能です)
 〒516-0009 三重県伊勢市河崎2丁目25-29 (伊勢河崎商人館東隣)
 TEL : 0596-29-1285(伊勢春慶の会)
 料金 : 無料
 開館時間 : 10:00~17:00



 開館日 : 土曜日及び日曜日

伊勢春慶や
 (伊勢春慶の購入が可能です)
 〒516-0009 三重県伊勢市河崎2丁目25-32 伊勢河崎商人館商人蔵(一の蔵)
 TEL&FAX : 0596-29-1285