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NPO法人日本伝統文化振興機構は、日本の伝統文化の継承・創造・発展のための活動を行っております。
鬼来迎 | 郷土芸能・民俗芸能 カテゴリ

総数:128件

伝統文化

鬼来迎
伝統文化の分類 郷土芸能・民俗芸能
文化名 鬼来迎



鬼来迎《特徴》
鬼来迎(きらいごう)は、千葉県山武郡横芝光町虫生の広済寺に伝わる、因果応報、勧善懲悪を説く、全国で唯一の古典的地獄劇です。
由来は、鎌倉時代の初期、後鳥羽院の時代に遡ります。薩摩の国の禅僧石屋が、衆生済度のため諸国を遊行の途中、虫生の里に立ち寄り、この地の辻堂を仮寝の宿としたとき、妙西信女という十七歳の新霊が鬼どもに責められている様を見ました。
翌日、墓参に来た妙西の父・椎名安芸守と、妻・顔世と言葉をかわすことになりましたが、新霊は、この地の領主・安芸守の一人娘とわかりました。請われるままに真夜中に見た地獄絵さながらの様子を話すと、安芸守は自分の悪行を悔い、娘の法名、妙西を広西と改め、彼女の墓堤を弔うために建久七年(1196年)仲夏、慈士山地蔵院広西寺を建立し、その開山となりました。
ところが、その年の仲夏六日、虫生の里に突然雷雨が起こり、寺の庭に青・黒・赤・白の鬼面と、祖老母の面等が天降ってきました。不思議に思った石屋は、これを寺内にとどめておきました。
一方、当時鎌倉に居住していた運慶・湛慶・安阿弥の三人の彫刻師が、ある時偶然に、石屋と安芸守夫婦が亡き娘の卒塔婆をたてて、菩薩に済度されたという情景を夢に見て感動し、はるばる虫生の里を訪ねて石屋に逢いました。石屋は三人にかつて辻堂で見た地獄の呵責のの様子と、それを救われた菩薩の大悲のありさまを詳しく話し、その姿を来世に残して、大衆の教化をはかりたい意向をのべたので、三人は早速、閻魔大王、倶生神、祖老母、黒鬼、赤鬼等の面象を彫刻し、出来上がった面をそれぞれ顔に当て、石屋もまた僧徒を集めて鬼に扮して、八月十六日に演じてみせました。
そしてその後も、地獄の相・菩薩の威力を示す「鬼来迎」は、毎年八月十六日に行われるようになったといわれています。

劇は、地獄の責苦を骨子とした「大序-賽の河原-釜入れ-死出の山」の四段と、広済寺建立縁起を物語る「和尚道行-墓参-和尚物語」の三段、全七段からなっています。

最初の「大序」の場面で、登場する鬼婆に赤ちゃんを抱いてもらうと健康に育つという言い伝えがあります。毎年八月十六日、鬼来迎の演じられる広済寺境内は、我が子の健やかな成長を願う両親、そして全国から集まる見物客で華やかににぎわいます。


国重要無形民俗文化財


横芝光町商工会 コンテンツ内
「鬼来迎」より転載


所在地 千葉県山武郡横芝光町
展示場&開催場所 広済寺
問い合わせ先 社会文化課生涯学習班
アクセス JR総武本線横芝駅からタクシーで約15分
観るポイント 劇中の舞台の設定や衣装整備、演者に至るまでを全て地元の方が行います。「素人の芸ではない」と観る人たちを驚愕させるほどです。
URL http://yokoshibahikari.jp/kiraigou/kiraigo.html