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江戸前って!?

2016/09/05
江戸前って!?

にっぽんおさかな文化あれこれ  第一回


前回ご好評をいただきました「食」に関するコラムシリーズ、待望の第二弾は日本人に馴染みの深い、「魚」がテーマです!鮮度が命の「魚」となれば、特に気になるのが産地ですよね。今回は産地の定義についてご紹介いたします。


江戸前って!?

 「この魚 江戸前?」「江戸前の穴子・・・」「江戸前寿司」などなど、「江戸前」という言葉は今でも日常的に頻繁に使われていますね。
 そこで、「江戸前」の意味を広辞苑で調べてみると
「(芝・品川など『江戸前面の海」の意で、ここで捕れる魚を江戸前産として賞味したのに始まる。鰻では浅草川・深川産のものをさす) ①江戸湾(東京湾)付近で捕れる魚類の称。 ②江戸風(ふう)。」
と書かれてます。
 
 「江戸前面の海」とは、「江戸(江戸城)の前の海」ということで、当時の漁場である佃(島)沖の羽田沖から江戸川河口周辺の海域を江戸の前海とし、その漁場で捕れた魚を「江戸前の・・・」と呼んでいました。
    
400年もあいまいだった「江戸前」の意味

 1590年、三河大名であった徳川家康は、豊臣秀吉の命により北条家の旧領である相模・武蔵など7国へ転封となり、江戸城を居城とし、1603年に幕府を開きました。その後、江戸城下の人口は増え、魚の需要も増えることで漁場が広がり、また湾岸の埋め立てや開発などもあり、江戸前すなわち江戸湾(東京湾)の意味する範囲も広がっていきました。

 以来、江戸時代から実に400年以上もの間、「江戸前」の定義は曖昧でしたが、ようやく2005年になって水産庁が「『江戸前』を東京湾全体で捕れた新鮮な魚介類を指す」*1と定義付けました。ここでいう「東京湾」とは、三浦半島の剱崎(けんざき)と房総半島の洲崎(すさき)を結ぶ線の北側の内湾と外湾を合わせた総称となります。

 この決定にあたり、「江戸前」の範囲として、
1) 昔のままの、羽田沖から江戸川河口周辺 
2) 観音崎(久里浜・走水辺り、神奈川県横須賀市)と、富津岬(千葉県富津市)を結ぶ線の北側である内湾 
3) 三浦半島の剱崎(神奈川県三浦市)と房総半島の洲崎(千葉県館山市)を結ぶ線の北側である外湾(浦賀水道)を加えた東京湾全体 
4) 東京湾に相模湾を加えた海域 
など、いろいろな意見が出たようですが、内湾と外湾を行き来する魚が多いこと、外湾で捕れる魚介類が江戸前寿司のネタに含まれているなどの理由で、3)の東京湾全体が江戸前とされました。

 このように、「江戸前」の定義が400年以上曖昧なままだったのは、江戸の近辺で獲れ、江戸っ子の舌を満足させくれる新鮮で美味しい魚介であればそれで良かったということなのだと思います。
しかしながら、近年急速に流通技術が向上し、さまざまな地域から魚介が東京に流入するようになった今だからこそ、「江戸前」というブランド*2を正しく評価してもらう必要性が出てきたのではないでしょうか?

「江戸前」=江戸っ子の意地?

 さて、「江戸前」のもう一つの「江戸風」という意味ですが、「江戸の特徴的な流儀・やり方」のことです。江戸時代前期、浅草川・深川辺りでは大量の鰻が獲れました。この頃まで、鰻の調理方法は筒切りして串を打ち、焼く、という簡単ものでしたが、これを背開き*3、中骨を取って串を打ち、白焼きしたのち蒸してタレをつけながら焼く、という方法に変えところ、庶民に好評だったことから、「江戸前」は江戸流の調理方法を指すようになりました。宝暦年間(1750年頃)においては、「江戸前」という言葉だけで江戸流の鰻の蒲焼を示したようです。

 その後、江戸前の魚を使った握り寿司を「江戸前寿司」、同じく江戸前の魚を使いごま油を使って揚げたものを「江戸前でんぷら」、細めで白めの冷たい蕎麦をつゆにつけて食べる「江戸(江戸前)蕎麦」など、江戸独特の調理方法・流儀を指すのに「江戸前」という言葉を使うようになりました。
 
 江戸~明治期にかけて、江戸っ子たちは京都の「雅」に対抗して、江戸の「粋」や江戸っ子の「心意気」を表現する「江戸前」いう言葉を、ことさらに使ってたのかもしれませんね。

  次回は「江戸前の魚たち」に関するコラムをお届けいたします。お楽しみに!


*1: 2005年 水産庁「豊かな東京湾再生検討委員会」の中の「食文化分科会」にて決定。

*2: 東海道最初の宿場である品川宿を中心に品川・大森・羽田にかけて、「江戸前穴子天丼」をはじめとした江戸前の魚介類を売りにした飲食店が増えています。

*3: うなぎを裂く(開く)という調理方法については京都の腹開きが先で、それが江戸に伝わり背開きとなったという説もあります。どちらが先か定かではありません。


▼参考文献・参考サイト(2016年8月22日参照):
『広辞苑 第六版』 
渡辺栄一著 『江戸前の魚』 草思社.
眞鍋 じゅんこ著 『うまい江戸前漁師町』 交通新聞社.
飯野亮一著 『すし 天ぷら 蕎麦 うなぎ: 江戸四大名物食の誕生』 筑摩書房.
『Wikipedia:フリー百科事典』
おさかな普及センター資料館,「1999年度第1回展示テーマ『東京湾の魚』  
食文化のウンチク,「江戸前(えどまえ)の意味」
財団法人水産物市場改善協会,「おさかなQ&A」



執筆者: 食いしん坊親爺TAKE

 もうすぐ古稀を迎える食いしん坊親爺TAKEです。

 食品の製造・販売、飲食店経営、食品の開発・輸出、2次加工食品材料の製造・販売、水産物のインターネット販売などの仕事に、30年以上携わってきました。
そして、美味しいお店を探したり、旬の食材を求めたり、その歴史を調べたりと、あちこち歩き回ってきました。

 人生のラストステージを迎え、昔のことを思い出しながら資料を探したり、目的の処を訪ねたり、詳しい方からお話を聞いたりしながら、大好きな食文化に関するコラムを書けることの幸せを感じています。

 美味しい・不味いは他の人が決めるのではなく(行列が出来ている・品切れになっているなどに惑わされず)、一人ひとりが自身の経験・五感などから、素材・調理・価格・清潔度・サービスなどをベースに自身の物差しをもって判断することが、食文化を発展させると思っています。

 このコラムがその判断の参考となり、おおいに食を楽しんでいただければ幸いです。